日本は何もしなくていい大国、無敵状態だった!
2ndシリーズ⑥「平和ボケ」日本の幕開け
軍事的合理性を重んじる力の論理の信奉者です。戦ったら危ない相手と戦争をするような愚か者でもなければ、挑発もしません。そんな、力の論理がわかるセオドア・ルーズベルトという人が大統領だったし、日本もそれを了解してちゃんとした振る舞いをしていたので、その後しばらく日米関係はうまくいきました。
上記の、黒羽茂氏の著書から引用したセオドア・ルーズベルトの対日構想のひとつである「アメリカ艦隊の世界周航を口実に大艦隊による対日示威行動を展開すること」は、実際に行われました。ペリーの黒船に対し「白船」と日本人は呼んだのですが、一九〇八(明治四十一)年に横浜港にやってきます。構想通り威嚇にやってきたわけですが、日本は大歓迎します。大歓迎しながら、その裏で日本は同時に大演習を行っています。「何かおかしなことをしたら、
すぐにこの場で沈めて返すからね」という姿勢があるわけです。そういう関係が、真の意味での同盟です。
現在の日米安全保障条約においては、アメリカは日本のことを「ally」と呼びます。日本語では同盟国と訳されますが、allyには従属、類属の意味があることを忘れてはいけません。アメリカは外国に対し、対等な関係を認めていません。アメリカにあるのは敵か子分かだけです。ただ、それは二十世紀のことで、そういう体質がもともとあるとはいえ、それを押し付ける力は無い訳です。明治の日本人、特に日露戦争を大勝に導いた総理大臣である桂太郎、あるいは外交官の高平小五郎などは、そうしたことをすべて理解した上で日米友好政策を採っているのです。余談ですが、桂も高平も、司馬遼太郎『坂の上の雲』では、まったくの事実誤認に基づく低評価が下されていますが。
日本が平和ボケに浸り始めるのと同時に、支那本土は一九一一年の辛亥革命で地獄の運命に突入していきます。日本に領有された韓国の方がまだましです。
朝鮮は日本にとっては海外領です。植民地ではありません。英語にすると、植民地はcolony、海外領はterritoryです。
しかし当時の日本は、「植民地」を持ったぞ、と喜んでいました。当時の国際標準は帝国主義です。植民地を持つことがステータスであって、一等国、大国としてのプライドなのです。
今の価値観では「謝罪しろ」となりますが、当時はそういう時代でした。戦国大名が隣国を征服して喜んでいるのと、まったく同じ感覚です。
(『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋)
次回は、シリーズ⑦辛亥革命とアーバンチャンピオン!? です。
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