成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか?【中野剛志×適菜収】
「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第4回(最終回)
■成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか?
適菜:小林は古典というものは、汲み尽くすことができない井戸みたいなものだと言っていますね。だから、常に古典は現代的であり、最新のものなんですね。それがわからない傲慢な人たちは「古典は古いもの」だと思い込んでしまっている。小林はこう言っています。《古典とは、僕等にとって嘗てあった作品ではない、僕等に或る規範的な性質を提供している現に眼の前にある作品である。古典は嘗てあったがままの姿で生き長らえるのではない。日に新たな完璧性を現ずるのである。嘗てあったがままの完璧性が、世の転変をよそに独り永遠なのではない。新しく生れ変るのである。永年の風波に堪える堅牢な物体ではなく、汲み尽す事の出来ぬ泉だ。僕等はまさに現在の要求に従って過去の作品から汲むのであって、過去の要求に過去の作品が如何に応じたかを理解するのではない。現在の要求に従い、汲んで汲み尽せぬところに古典たらしめる絶対的な価値があるのだ》(「環境」)
だから、解釈によって、その姿かたちを繰り返し捉え続けることが大切なんですね。それは形を見て、触れ合うということです。私は自分のメールマガジンで、『源氏物語』や『徒然草』をずっとやっていますが、これも「溶かす」とか「触れ合う」ためです。
中野:対談第1回の冒頭の話に戻ると、コロナ禍という新しい事態を理解しようとするときに「これは、インフルエンザと同じようなものです」っていうふうに従来の考え方を当てはめて安心し、今までのインフルエンザと同じように理解しようとすると、失敗するわけです。戦争でいうと、小林は戦争に協力したとか、戦争の反省なんぞしないと言ってみんなから顰蹙(ひんしゅく)を買ったとか、そういったところが強調されていますね。しかし小林をよく読むと、彼は戦時中から、この戦争が新しい事態であるため、既存の理論を当てはめて理解した気になっていると失敗すると警鐘を鳴らしていました。例えば、当時の「東亜協同体論」について、「そういうありきたりの理論で、未知の事態を理解しようとすると間違えるぞ」と批判していたのです。「我々が直面している、この戦争というのは、今まで体験したことがないことなんだから、そういう現実の新しさ自体をよく見ろ」と小林は強調していました。
適菜:そういう人たちは未知のものを、自分の理解できる範囲に落とし込み、解釈するわけですね。現実を直視できないので、既存の概念の中から利用できそうなデータを探しだそうとする。自己評価とプライドだけは異常に高いので、間違ったことにうっすら気付いていても、撤回しないで押し切ろうとする。それをこじらせると、現実と願望の区別がつかなくなる。先の戦争もそうでしたし、新型コロナへの対応もそうです。こうして日本は焼け野原になったわけです。
中野:人間は未知の新しい事態に対応しきれずに失敗するものなんですね。むしろ知識があったり、成功したりした人ほど、未知の事態が起きると、従来の知識や経験にとらわれて、失敗する。それはもう悲劇のようなものである。小林は日中戦争が始まったときから、そんなことを言っている。戦争が悲劇なのだとしたら、悲劇の反省なんかできるわけないじゃないかということです。だから、小林は「僕は馬鹿だから反省なんぞしない」って言い放ったんですね。
さて、このコロナ禍というのも、どうもこれまで経験したことがない新しい事態のようです。ところが、この新しい事態に対して、こんなのはインフルエンザと同じようなものだとか、集団免疫を形成すればいいとか、そういうありきたりの理論を持ってきて対応しようとした人たちがいました。これに対して、「ちょっとこれはいつもと違うから、よく見ろ」と判断して、大事を取って行動した人たちもいた。もっとも、「よく見ろ」と言ったって、既存の理論ももちろん活用しなきゃいけないのでしょう。しかし、既存の理論に当てはめて、これでいいんだと済ませてしまうような対応の仕方と、既存の理論をあくまで仮説としてとらえ、既存の理論が当てはまらないことがあったらすぐに修正して理論を更新していくという対応の仕方と、二つあったと思います。後者のほうの対応を、まさに専門家会議の先生たちはやっていたんですよ。
だから当初の段階から「三密」というのを特定するなど、状況を確認し、認識を修正しながらやっていた。まさにそういうやり方であったからこそ、はっきり断定することができなかったり、慎重でありすぎたりした面もあったのでしょう。あるいは、読み間違えた面もあったかもしれない。けれども、すぐにそれをフィードバックして、別のやり方を進めていたわけです。それなのに、専門家会議の予測が外れると、それをいちいち「外れた」「外れた」と鬼の首でもとったかのように騒いで批判した言論人たちがいました。そんな彼らは、「コロナは風邪みたいなものだ」と言いふらしていた。つまり既存の理論で分かった気になっていた連中が、専門家会議を批判していた。専門家会議がコロナを新しい事態と認識して対応しようしているということを理解せず、後知恵で専門家会議を批判する人たちが、あろうことか「保守」を名乗って、戦争の反省を繰り返し、戦後の後知恵で戦時中の政治指導者を断罪する左翼を批判したりしてるわけです。しかし彼らが批判している左翼と、やってることが同じじゃないか。
適菜:小林の時代なら総力戦だったのだろうし、現在なら新型コロナかもしれませんが、国全体が緊急事態に巻き込まれたとき、小林は黙って事変に処した。そのときに「僕は釣りに行きたい」とか「僕はライブをやりたい」いう幼稚な人間ばかりになったら、そもそも国も社会も成り立ちません。これは保守的な自由主義理解の対極にある発想です。
中野:そうそう。戦後の後知恵で歴史を反省することに反発していた保守が、今回のコロナという新しい事態に対応しようとした専門家会議を後知恵で批判している。要するに、左翼の自虐的な戦争観を批判していた人たちは小林と違って、「かの戦争というのは、新しい事態に直面したことによって起きた悲劇である。だから反省しない」という理解ではなくて、「日本は、本当は、もっと良いことをやろうとしてたんだ」とか「ルーズヴェルトが日本を戦争に追い込んだんだ」とかいった程度の戦争理解しかしていなかったのでしょう。つまり、「本当は、もっとうまくやれていたんだ」というような調子で、歴史を見ているのです。
適菜:結局、馬脚を現したということではないですか。あの手の連中の動向を見ても、結局、新自由主義者や陰謀論者、デマゴーグ、カルト勢力のほうへ近づいていった。もともと「保守」でもなんでもなかったということです。合理的に歴史を裁断するというのは、対談の第1回でやった丸山眞男と一緒ですね。
中野:丸山と一緒なんですよ。戦争を良く言うか、悪く言うかの違いしかない。
適菜:小林は総力戦という新しい事態に対し、既存の概念を振り回す似非インテリより、国民のほうにシンパシーを感じたわけですよね。
中野:そうなんです。小林が「国民は、事変に黙って処した」って言ったのは、そういう意味なんですよ。