成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか?【中野剛志×適菜収】
「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第4回(最終回)
■人間は同じようなパターンで間違いを繰り返す
適菜:新型コロナにより社会不安が高まる中、素人、デマゴーグ、無責任な人、高を括る人、陰謀論者が「単なる思いつき」を大上段から語るようになります。新自由主義に脳を侵された自称保守の連中が、新型コロナ軽視発言を続けたのはそれほど不思議なことではありませんでした。彼らは国家の役割を軽視するからです。しかし、ある程度まともな言論を続けてきた人も、今回はかなりおかしなことを言い出しました。
中野:以前、佐藤健志さんを交えた鼎談で話題をさらった例の大学教授のことですね(笑)。
「ボクは自粛で山ほど嫌な思いをしています」とか駄々をこね、「自粛に賛成している者は社交を知らないガキ」だなどと書き連ねていた……。彼の文章は、文体からして酷かった。前回の対談で話題になりましたが、やっぱり出るもんですね、文体に。
適菜:あれには驚きました。「文系と理系」「社交がある人とない人」などと、新型コロナという「敵」に対して一丸となって戦うどころか、わけのわからない主張で社会を分断し、次々とコロナ陰謀論に飛びついていった。この背景には特にこの30年間で急速に進んだナショナリズムの衰退と国家の機能不全の問題が存在すると思います。もっと驚いたのはそれに同調する人間が出てきたことでしたが。
中野:昨年の第1波では、日本はロックダウンもできないし、政府も混乱していたのに、諸外国と比べると感染者数や死亡者数を低めに抑えることに成功した。特に去年の春の段階で、「これ、やばい」ってみんな思って、自主的にマスクをしたし、外出を自粛したわけですよ。強制力もないのにみんなで自発的に行動した。これは、「危ないから家にいよう」とか「人にうつすとまずいから、おとなしくしていよう」とか、日本国民がまさにこのコロナという未知の事態に「黙って処した」んですよ。危機になったときには、とりあえず、みんなで手を取り合って団結して行動しようという知恵が日本人にはあるんだ、と小林は言っていた。その話だなと思ったんです。それなのに、「へたれの日本人がマスコミに煽られて自粛している」とか、「過剰自粛は全体主義だ」だとか騒いだ知識人がいたわけですよ。戦後左翼は、「戦前の日本人は全体主義的でデマゴーグに従順に従ったからだめだったんだ」と考え、「戦後は自立した個人にならなきゃいけないんだ。だから日本を改革するんだ。近代化するんだ」とやってきた。しかし、戦時中の日本人は、自立した個人じゃないから政府の言いなりになったんではないんですよ。「これは、危ない」と思ったから、みんなで団結したという、当たり前のことをやっただけの話。そのことを小林は戦時中から言っていたわけです。今回のコロナ禍における国民の行動は、まさにそれですよ。
適菜:その一方で、社会不安の中で、デマゴーグが増長するという現象は変わりません。もちろんまともな人も多いのですが、デマゴーグに流される人も一定数はいる。「ファクターX」というのはあくまで仮説にすぎませんが、それに飛びついて「日本人は民度が高いから大丈夫」などと麻生太郎みたいなバカなことを言い出す。あれってまさに戦時中の「神風が吹く」と同じです。「ロックでコロナをぶっ飛ばせ!」などと見出しに掲げる雑誌まで登場しましたが、「竹やりでB29を落とせ」というのとどこが違うのでしょう。
中野:確かに、そうかもしれませんね。
適菜:だから人間は同じようなパターンで間違いを繰り返すのです。
中野:びっくりするぐらい同じです。ちょうど、たまたま小林秀雄を読んでいたときにコロナが起きた。コロナって、ずっと家にいなきゃいけないから、小林秀雄全集が読めてしまったわけです。それで読んでいたら、本当に現在にも当てはまることがたくさん書いてあった。コロナっていうのは、実際に、戦争に喩えられてるわけです。特に海外では、国家指導者がよく戦争に喩えている。確かに、戦争とコロナとは同じようなところがある。コロナでも、日本人は「黙って処した」のです。それを「集団ヒステリーだ。理性的じゃない」って国民を批判している連中というのは、左翼が戦前の日本人を「自立していない」「近代的自我が確立していない」と批判していたのと同じことをやらかしたのですよ。これでは、小林が言ったことも彼らには理解できないでしょうね。
適菜:これが大衆社会の末路です。彼らは小林を読んでいないか、読めていないかのどちらかでしょう。