立川談志が弟子にしかけた激しい「無茶ぶり」、その真意
大事なことはすべて 立川談志に教わった第2回
なぜそんなことをされるのか?
これはズバリ言ってしまえば、「人から嫌われないための受け身」なのだと、今、あらためて思います。
柔道を習おうと道場に行っても、最初から技を教えてはくれません。落語家に入門しても最初から落語をやらせません。まずは「受け身」からなのです。相撲で言うなら「股割り」なのかもしれません。やっておくと、大きな怪我が防げるのです。
一門のぜん馬師匠から「一見無駄だとしか思えない前座だけど、やっておくだけで世間も評価してくれる。まず仲間内からはかばってもらえる」と、長い前座時代に言われたことがあります。
逆に、しておかないと何を言われるかわからない。それが「前座」なのです。
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談志師匠の無茶ぶりは弟子たちの落語センスを磨くためのものだったのですね。体育会系の部活の経験がる人ならわかるかもしれませんが、後になって考えれば、先輩たちの無理強いも意味があったことだと思えることもありますよね。これは社会人になってからも変わらないことなのです。会社に入って仕事を覚えるにも、最初は萎縮と緊張の連続。それを克服して、下地にしてこそ、自分の仕事を身につけていけるのです。
さて、そんな談慶さんも晴れて見習い期間が終わって前座に上がり、芸名「立川ワコール」を頂きます。では、次回はそのあたりの話から。