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立川流の「二つ目、真打ちへの昇進基準」はなぜ厳しかったか

大事なことはすべて 立川談志に教わった第4回

 ご存じの方もいるでしょうが、わが立川流は「真打ち昇進基準をめぐる諍(いさか)い」から、今から30年ほど前に落語協会から独立しました。まあ、「独立」したはこちら側の言い分です。向こう側は「追い出した」と言うのですが。

 もともと脱退の理由がそこにある以上、団体としての節度をキープする根本が昇進基準にあると師匠は睨(にら) みました。言わば、立川流設立の根幹部分が「昇進基準」そのもの、もっというならば「原罪」みたいなものなのです。

 それを緩めれば、立川流は立川流でなくなるのです。だから厳しいのが当然なのです。

 二つ目昇進が思いのほか長引いていた時期に、師匠は「俺が厳しい基準を設けているのは、お前らのそれを手に入れた時の喜びの大きさのためなのだ」とまで言ってのけたことがありました。さらに言えば、「前座を厳しくしてやったほうが、より二つ目昇進へのモチベーションは加速する」とまで考えて振る舞った人でした。

 

 そう、「前座を長くやっている」というのは、明確な昇進基準を決めている師匠から見れば「二つ目になる意志がない」=「前座が快適なのだ」と、またもやここで超合理的思考で処理してしまうのです。つまり「昇進基準をクリアする」ことこそが、師匠と「価値観を一致させる」なによりの証左なのです。

 わかりやすく言うと、有機体である立川流と結合されたパーツになるための審査資格が、「昇進基準」なのです。今風のゲームっぽく言うならば、談志が極めた「さらなる芸の奥義への世界」への「パスワード解読」こそが「昇進基準クリア」なのです。

 これは実際はどうであれ、弟子たちには「選民意識」が促進され、ますます結束力が高まる結果をもたらすのです。

「お前が、どんなに嫌いなやつだとしてもな、俺は基準さえクリアしたら二つ目にしてやるんだ。逆にどんなにお前を好きだとしてもな、基準を満たさなきゃ昇進させないんだ」

 そう言われたこともあります。

 師匠談志は、自ら設けた基準で自らにも縛りをかけていたのです。これが立川流、そして談志の凄さなのです。

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立川 談慶

たてかわ だんけい

昭和40(1965)年長野県上田市(旧丸子町)出身。1988年慶応義塾大学経済学部を卒業後、㈱ワコールに入社。セールスマンとしての傍ら、福岡吉本一期生として活動。平成3(1991)年4月立川談志門下へ入門。前座名立川ワコール。平成12(2000)年12月、二つ目昇進、談志より「談慶」と命名。平成17(2005)年4月、真打ち昇進。平成22(2009)年から二年間、佐久市総合文化施設コスモホール館長に就任。平成25(2013)年、「大事なことはすべて立川談志(ししょう)に教わった」(KKベストセラーズ)出版、以来、「落語力」「いつも同じお題なのになぜ落語家の話は面白いのか」「めんどうくさい人の接し方、かわし方」「落語家直伝うまい!授業のつくり方」「なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか」「人生を味わう古典落語の名文句」など「落語とビジネス」にちなんだ書籍の執筆。NHK総合「民謡魂」BS日テレ「鉄道唱歌の旅」テレ朝系「Qさま!」CX系「アウトデラックス」「テレビ寺子屋」などテレビ出演も多数。現在、東京新聞月一エッセイ「笑う門には福来る」絶賛好評連載中


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