立川流の「二つ目、真打ちへの昇進基準」はなぜ厳しかったか
大事なことはすべて 立川談志に教わった第4回
ご存じの方もいるでしょうが、わが立川流は「真打ち昇進基準をめぐる諍(いさか)い」から、今から30年ほど前に落語協会から独立しました。まあ、「独立」したはこちら側の言い分です。向こう側は「追い出した」と言うのですが。
もともと脱退の理由がそこにある以上、団体としての節度をキープする根本が昇進基準にあると師匠は睨(にら) みました。言わば、立川流設立の根幹部分が「昇進基準」そのもの、もっというならば「原罪」みたいなものなのです。
それを緩めれば、立川流は立川流でなくなるのです。だから厳しいのが当然なのです。
二つ目昇進が思いのほか長引いていた時期に、師匠は「俺が厳しい基準を設けているのは、お前らのそれを手に入れた時の喜びの大きさのためなのだ」とまで言ってのけたことがありました。さらに言えば、「前座を厳しくしてやったほうが、より二つ目昇進へのモチベーションは加速する」とまで考えて振る舞った人でした。
そう、「前座を長くやっている」というのは、明確な昇進基準を決めている師匠から見れば「二つ目になる意志がない」=「前座が快適なのだ」と、またもやここで超合理的思考で処理してしまうのです。つまり「昇進基準をクリアする」ことこそが、師匠と「価値観を一致させる」なによりの証左なのです。
わかりやすく言うと、有機体である立川流と結合されたパーツになるための審査資格が、「昇進基準」なのです。今風のゲームっぽく言うならば、談志が極めた「さらなる芸の奥義への世界」への「パスワード解読」こそが「昇進基準クリア」なのです。
これは実際はどうであれ、弟子たちには「選民意識」が促進され、ますます結束力が高まる結果をもたらすのです。
「お前が、どんなに嫌いなやつだとしてもな、俺は基準さえクリアしたら二つ目にしてやるんだ。逆にどんなにお前を好きだとしてもな、基準を満たさなきゃ昇進させないんだ」
そう言われたこともあります。
師匠談志は、自ら設けた基準で自らにも縛りをかけていたのです。これが立川流、そして談志の凄さなのです。