プレイヤーとしても、評論家としても。立川談志・一流の「理詰め」
大事なことはすべて 立川談志に教わった第7回
■一方的対応こそが前座修業
師匠談志の激しい「無茶ぶり」の数々を書く前にまず言っておきたいのは、師匠談志が、たとえ惚れ込んで入門してきた弟子たちの弱みにつけ込むような行為とはいえ、修業という名で「無茶ぶり」をさせるに足る凄い存在だったということです。
師匠の圧倒的な存在感があればこそ、前座に対する言動も説得力を持ちます。弟子も「きっとこの過酷な指示の真意は、もっと深いところにあるに違いない」と思いをめぐらすことで、自らの前座修業の正当性を理解しようとします。その結果、より前座としてのアイデンティティを確立することになります。
こうして受信者側である弟子が、思考の深度を掘り下げることによって、発信者である師匠から起こることすべてを甘受するという一方的対応こそが前座修業なのです。