プレイヤーとしても、評論家としても。立川談志・一流の「理詰め」
大事なことはすべて 立川談志に教わった第7回
■「手紙無筆(むひつ)」という前座噺
ネタは「手紙無筆(むひつ)」という前座噺でした。師匠の口調を真似るかのように、ソックリに快調にしゃべりました。
「お前、それ、俺で覚えたのか」
「はい」
「……まあ、いい。続けな」
「よかった、俺の判断は間違ってなかった。これからは師匠の落語をベースにして稽古に励もう。それなら突っ込まれようがないもんな。だって本人のネタだもの」と思った矢先でした。
なんと師匠は、そのネタすらも細かくチェックし始めたのです。
「待て。おそらくそれは、俺がまだ若い時にやっていたネタだ。その場面はな、俺がその場で観客の思いに応えようとしすぎて、勢いで処理してる噺だ。だいたい、兄貴分のそのセリフに対して、弟分はそんなセリフを吐くか。辻褄(つじつま)が合ったこと言ってるか、よく考えてしゃべらなきゃ駄目だ」
そうピシャリ。
普通の師弟関係でしたら、まず弟子は師匠を手本として一字一句真似て会得(えとく)していくのですが、なんと師匠はその手本にすら赤を入れ、その場で再度検証しようとしてしまうのです。これにはまいりました。
「昔なら俺ソックリにやれと言ったものだがな、お前はこの時期に俺のところに入った身の不運と思え。いや、お前の落語家人生にしてみれば、これは幸運になるはずだ。まあ、おまえにその受け皿があればの話だがな」
どこまでもどこまでも「理詰め」な師匠なのでありました。
* * *
修行という名の無茶振り。それが談慶さん、いや、談志さんのお弟子さん全員の芸を成長させる原点になっているのですね。それにしても、無茶振りと言いながら談志さんの「理詰めの分析」はすごいですね。しかし話はそれだけでは終わりません。次回は『志ん朝と談志の違い――談志の魅力その2』と題して、談慶さん独自の分析と理論を語っていただきます。