山田長政はシャム国王に暗殺されたのか? “利益を得たのは誰か”に注目し捜査する
あの歴史的事件の犯人を追う! 歴史警察 第5回
■左遷された先で死去……これは暗殺なのか?
これだけであれば、長政は新国王の即位に一役買った人物として、高く評価されたにちがいない。しかし、そうはならなかった。プラーサートトーンがチェーターティラート親王を殺害し、チェーターティラート親王の弟アデットウン親王を擁立して実権を握ったからである。このため、プラーサートトーンと対立した長政は、アユタヤの南方700kmの地に位置するリゴール州の総督に左遷させられてしまったのである。実質的な「王」の地位を約束されたというが、はっきりとしない。当時のリゴールは、シャムの属国ではあったが統治は安定せず、隣国パタニによる侵入にも苦しめられていた。そうしたなかで赴任した長政は、リゴールを平定するとともに、パタニをも撃退した。ところが、パタニとの戦闘で負傷すると、あっけなく死去してしまったのである。オランダの記録によれば、プラサートトーン王の意をうけた前リゴール総督の弟ナリットが、長政を介抱するふりをしながら毒薬を塗布し、死に至らしめたのだという。それが事実なら、長政はプラサートトーン王に暗殺されたことになる。
長政の子は、リゴールを追われ、長政に付き従っていた日本人の傭兵等も離散した。一部の日本人はアユタヤの日本町に戻ったが、その日本町もプラサートトーン王によって焼かれてしまったのである。オランダの記録が確かであれば、すべてプラサートトーン王の謀略でことが進んだことになる。しかし、オランダは対日貿易をめぐって長政と争っており、その記録がすべて真実であったとは限らない。長政の死後、前リゴール総督は、娘を長政の子に嫁がせるなどしており、融和の姿勢をみせていた。もちろん、それすら策略との見方もできるが、長政を殺害しなければならない理由というのは、とくに見つからない。長政を暗殺すれば、総督に復帰できる可能性はあるだろうが、混乱するリゴールを統治することができたかどうか疑わしい。
すでにプラサートトーン王は、長政をリゴールに左遷した時点で、目的を達成していた。王が長政を殺害する必然性はなかったのではないだろうか。むしろ、混乱するリゴールを統治し続けてくれたほうが、王国にとっては望ましいことだったにちがいない。シャムへの従属に反発するリゴールの貴族もおり、長政の死は、国王の個人的な感情は別として、王国としては明らかに損失であった。結局のところ、長政が亡くなったことで利益を得たのはオランダである。実際、オランダは、パタニなどを支援してシャムからの独立を画策していた。リゴールの独立も扇動していたとみて間違いないだろう。日本人を蜂起させてシャムに鎮圧させればシャム国内に商売敵はいなくなるうえ、リゴールが独立すれば貿易を独占することもできる。長政がプラサートトーン王に暗殺されたという流言を広めたのは、オランダだったのかもしれない。長政自身は、暗殺などではなく、パタニとの戦争で毒矢をうけ、自然に亡くなったのではあるまいか。いずれにしても、このあと、プラサートトーン王はオランダを牽制するため、アユタヤの日本町を復興させたのだった。