丹波でめぐる明智光秀ゆかりの地⑤ 丹波篠山城の伍
季節と時節でつづる戦国おりおり第469回
篠山城の南面から、時計回りに西側へ。
多くの武家屋敷が保存されている「御徒士町通り」に出ます。これより一本内側(東側)の堀端は大身クラスの屋敷群で、この御徒士町は文字通り徒士、つまり騎乗ではない軽輩の武家たちの町ということになりますね。
台風被害により屋根が損傷したままのところが散見されるのが心痛みますが、復元され公開されている「安間家史料館」を見学。
この史料館の写真をご覧下さい。
屋敷の前に溝が走っていますね。本来、御徒町通りの西はこの溝ギリギリまで屋敷が建っていたそうですが、天保元年(1831)の大火を契機に、火除けのため西側に土地をセットバックし「犬走り」と呼ばれる空白地を設けたためにこんな形となりました。
天保8年(1838)の絵図を見ると、御徒町の外側にも溝がめぐっていたようです。こちらは言うまでもなく城の西面の第一防衛施設としての堀の役割を果たしていたのでしょう。