織田信長流『セルフプロデュース入門』
季節と時節でつづる戦国おりおり第471回
大阪・黒門市場の苦境がネットニュースで流れていました。訪日外国人相手にシフトし客単価を高く設定したことが仇となり、コロナ禍で外国人需要が消滅したときには馴染みの日本人客まで消滅していたということで、インバウンド向けに業態変更した結果が想定外の事態により完全に裏目に出たという皮肉な状況になっているようです。そういえば最近全然黒門市場には行っていませんでした。ことほど左様に、外国向けのセルフプロデュースというのは難しいようです。
441年前の永禄12年3月13日(現在の暦で1569年4月9日)、フロイスが織田信長から京での居住の自由を保障される。
キリスト教のイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、織田信長に京での居住の自由を保証して貰うための献上品として銀の延べ棒3本をようやく工面しましたが、後援者の和田惟政がそれでは足りないと7本を貸してくれ、銀10本を持って信長のもとを訪れます。
ところが、信長は笑って「そんな事で金銭の贈与を受ければ予の品位は失墜する」と言い、無償で朱印状を発給しました。
その内容は、「伴天連が都に居住するについては、彼に自由を与え、他の自国人が義務として行なうべきいっさいの事を免除す(後略)」というもの。
信長は、のちに京で馬揃(軍事パレード)を開催した時もイエズス会巡察師のヴァリニャーノらに特等席を用意し、安土城一帯を描いた狩野永徳の『安土山図屏風』を贈呈し、その上彼の安土辞去をわざわざ延期させて盆に開催したイベントを見物させる事までしました。
当日、安土山下では一切の灯火が禁じられ、安土城の天主と道路、それに湖上の船のみが提灯や松明でライトアップされたのです。
夜空と湖面に浮かび上がる灯火に、ヴァリニャーノは「鮮やかな景観」と感嘆の声をあげています。
地球が丸い事を日本で最初に理解したのが信長だと言われていますが、彼の世界観は、外国から将来にわたって日本と自分がどう見られるか、どう接していくかという点を客観的に捉え考える力を持っていたのではないでしょうか。
天下統一に邁進する中で、自分の存在をワールドワイドに発信し、自己を演出してみせた信長という男、やはりスケールが違うようです。
現在の日本では、ひと昔前の鳩山内閣から始まった外資の参入を促進するための法人税減免、関係者の入国手続き簡素化など一連のインバウンド政策が、結果論として新型コロナウイルスの水際阻止の阻害要因となってしまいましたが、信長の様に長く広いスパンで物事を考えられる政治家というのは果たして出て来てくれるのでしょうかね。