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〝映える死に方〟前田利家

季節と時節でつづる戦国おりおり第472回

金沢・尾山神社の前田利家像

 今から422年前の慶長4年閏3月3日(現在の暦で1599年4月27日)、前田利家死去。数え63歳。

 彼が死を迎えたのは、豊臣秀吉が死んで世情が不安となり関ヶ原合戦へと突き進んでいくさなかでした。死に際して、彼にはかっこいい話が残っています。

 秀吉の旧友として後事を託された利家が、病重くなって勢力を拡大する徳川家康の見舞いを受けるにあたって息子の利長に
「家康が来たら、心得ているか」
と尋ねました。
利長は
「馳走の儀は申し付けておきました」
と答えたので、利家は家康を普通に接待しましたが、家康が帰った後で利長に布団の下から抜き身の刀を取り出して見せ、
「お前に心得ているかと聞いたのは、お前が天下を背負って立つ覚悟のある返答をしたならばこの手で家康を刺し殺すつもりだった。人の入れ知恵で大義が成就するものではないから、あきらめて家康にお前の事を頼んでおいた」
と言い、続けて
「天下はやがて家康の手に入るべし」
と予言したというのです(『古心堂叢書利家公夜話首書』)。

 家康に利長の事を頼んだというのは、『陳善録』にも記録があります。

「はやこれが暇乞い、死にまする。肥前(利長)事頼み申し候」というのがこちらでの利家のセリフです。
懐に匕首、目には涙。
かっこいいです。

 しかし、この話本当でしょうか。
利家という人物、加賀100万石の祖だけにかなり後世の虚飾が入っているような気がしてなりません。

 そもそも彼の「利家」という諱も、烏帽子親の津田信家(信長の伯父)から「家」の一字をもらったと『利家公御武功覚書』にありますが、普通は一字拝領すれば上につけますよね、「家」を。利家の場合は次男ですし、父・利昌の「昌」を貰って「家昌」とか。むろん例外はありますが、もう初手からうさんくさいのですよ。

 彼の前田家家督継承についても同様です。

 彼には兄の利久がいましたが、織田信長が利久を強制的に隠居させ、利家が前田家の主になるよう命じました。
その理由については、利久は
「御若年より物難しがりなされ、武者道少しく御無沙汰に御座候」(『村井重頼覚書』)
と、気むずかしく武道にも疎かったためだと記されています。

 しかし実際には、利家は若い頃信長の愛人(衆道の相手)だったといい、『陳善録』には
「利家様若き時は、信長公御そばに御寝伏しなされ候、ご秘蔵にて候」
と記されています。これこそが利家への家督交代の理由だったのではないでしょうか。

 信長は『信長公記』にも「屈強で戦功数多い侍衆が七・八百居並んでいるので、合戦に不覚を取った事は無い」とあるように周囲を信頼できる近習衆で固め、機動的に戦闘をおこなう傾向がありました。

 なおかつ当時、衆道の愛人関係は「互いに命を賭けて相手を守る」事を誓い合って成立していたため、かつての愛人でもあり武辺に長じた「母衣衆(ほろしゅう。親衛隊)」でもあった利家を利久に代えよう、と信長は考えたのでしょう。

 その後ろめたさゆえ、やれこの処置を恨んだ利久の妻が腹を立てて「色々呪い事めされ」(『陳善録』)たとか、利家の前で利久の悪口を言う柴田勝家らに
「蔵人殿(利久)儀、武道の儀は、我ら前にて御申す事ご免候え」!
と大喝し、それを聞いた信長も感じ入った(『利家記』)とか、やたら利家は被害者、兄を思う良い弟的な演出がなされていますが、言えば言うほど嘘くさくなるのが手前誇り。

 のち賤ヶ岳の戦いでも、秀吉に内通していた利家が兵を退却させたのが「裏崩れ」を引き起こし、柴田勝家勢の総敗軍につながったというのが一般的です。
でも、ここでも
「利長が佐久間盛政に交代を申し出たが、盛政は『まだいい』との返事。『さても憎き返事かな』と怒った」
と言ってみたり、総敗軍となる中で前田勢は勇敢に戦い、土肥但馬ほかが戦死したと言ってみたり、越前府中に退却した後で逃れて来た柴田勝家を、家臣が
「秀吉への忠節のしるしに討ち果たしましょう」
と言うのを利家が怒ったと言ってみたり、一所懸命に美化糊塗しようとします。
でもどう繕ってみても、越前府中を守り敵の追撃を防ぐよう頼んで北庄に帰る勝家に
「御跡(敵の追撃)の儀、少しも御気遣いなさるまじく」
と請け負って別れた利家が、秀吉が来るとそそくさと開城してしまったのは事実。

 こういう虚飾に彩られた利家の最期が、果たして本当に家康刺殺を覚悟したものであったのかは、甚だ疑わしいとどうしても思えてしまうのですよ。史実であればまさに「映(ば)える」死に方ですが、まあ、武辺者だった事は事実でしょうし、利家じゃなく後世の前田家の人間が次から次へ嘘話をでっちあげただけかも知れませんけど、ね。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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