大塚駅が最寄りではない「文京区大塚」の由来
「目黒駅は目黒区ではなく品川区」「品川駅は品川区ではなく港区」という、東京の方にはおなじみの山手線雑学があります。実は、山手線のひとつ大塚駅にも、駅名と地名の不一致問題があったのです。
『一個人』は先日、『47都道府県 地名の謎と歴史』という増刊号を発刊しました。ここでは、私たちの編集部のある音羽と、隣町の大塚にまつわる「地名の謎と歴史」をご紹介します。
編集部のあるオフィスビルが面している音羽通りは、全長1㎞にわたりひたすら真っすぐな、護国寺の参道です。近隣には、出版業界で「音羽系」と呼ばれる講談社さんや光文社さんの本社が建ち並んでいます。
出版の町で知られる音羽ですが、その地名は、江戸時代の女性に由来します。五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の発願により建立されたのが護国寺で、その桂昌院の奥女中が音羽でした。
ここで、江戸時代の絵図から当時の音羽の様子を見てみましょう。
江戸川橋から護国寺にかけての参道は、いまと変わらず真っすぐです。通りの左右には音羽町の町屋が建ち並んでいます。
音羽通りの左右(東西)は台地になっていて、急峻な坂や階段がいくつものびています。『ブラタモリ』でおなじみの「スリバチ地形」ですね。
編集部のあるビルの裏側は、軽自動車が一台通るのもぎりぎりな細い路地で、東側は2m以上の切りたった高い崖になっています。崖の上は住所が変わって「文京区大塚」です。
音羽の隣町、大塚は高台の閑静な住宅地。お茶の水女子大学とその附属校をはじめ、学校・教育機関が密集しているのも特徴です。
東京の方には、JR山手線の「大塚駅」でなじみがある地名かもしれませんが、この駅は文京区大塚にはありません。この「大塚」という地名をめぐっては、いくつかまぎらわしい点があるのです。
●JR大塚駅は豊島区(東京メトロ新大塚駅は、ぎりぎり「文京区大塚」)
●JR大塚駅の南北は「豊島区南大塚」「豊島区北大塚」という住所表記ですが、「文京区大塚」は南大塚よりもさらに南
●護国寺駅前には「大塚警察署」がありますが、住所は文京区音羽2丁目。一方、大塚駅最寄りの北大塚1丁目にある警察署は「巣鴨警察署」
私たちの編集部は数年前まで豊島区南大塚にありましたが、その当時から、大塚という地名が区をまたいでいることが不思議でした。もともと「大塚」という地名があったのが、文京区と豊島区に分断されたのかな、と思いきや、ちょっと違ったみたいです。
実際は、文京区の大塚がまずありきで、江戸時代初期には存在していました。
『47都道府県 地名の謎と歴史』でも触れましたが、大塚は曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』にも登場します。主人公のひとり、犬塚信乃は武蔵国大塚村の出身。もともと大塚姓でしたが、父の番作が家督を姉夫婦に奪われ、犬塚と改姓したのです。
時代が下って明治36年、巣鴨の地に開業した駅が「大塚」と名づけられました(隣の巣鴨駅と同日開業)。さらに昭和44年には、駅名に準じて近辺の住所が北大塚・南大塚へと改められたそうです。豊島区の方は新地名だったわけで、警察署名や学校名に旧地名「巣鴨」の名残をとどめています。
ちなみに、大塚という地名は「大きな塚」、すなわち古墳に由来するとされています。古墳のあった場所は、東京メトロ茗荷谷駅のすぐ近く、文京区大塚1丁目の貞静学園がある辺りです。
このように、地名にはその土地の成り立ちや、秘話が隠されています。
あなたの住まいや職場の地名について調べてみると、意外な発見があるかもしれません。