江戸時代に迷い込める「古地図で歩ける町」
萩の街を古地図で歩く
旧街道歩きを目的に訪れた
萩の町で藩政時代の面影に遭遇
山口県に萩往還という旧街道がある。現在も一部が昔のままの姿を留め、山越えの箇所には石畳が残されていたりする。この道は関ヶ原の合戦後、長門と周防の2カ国に押し込められた毛利家が、新たに本拠地とした萩と、東西交通の海の玄関口であった瀬戸内海沿いの三田尻(現・防府市)とを、最短距離で結ぶために築いた道なのだ。毛利家の歴代藩主はもとより、幕末期になると吉田松陰、桂小五郎、坂本龍馬といった歴々も、この道に足跡を残したと伝えられている。
私は15年ほど前、この萩往還を歩くのを目的に萩を訪れたことがある。街道を歩く前に、丸1日時間がとれたので、ひとりであてもなく萩の町中を散策することにした。列車を東萩駅で降り、まずは予約したおいた萩バスセンター近くの宿に荷物を預けに行く。宿のすぐ近くには「唐樋札場跡」という高札場跡があった。そのエリアはかつて町屋が多かった場所のようで、商店が建ち並んでいた。
それから11年が経過した2014年、再び萩往還を歩く仕事が舞い込んで来た。この時はカメラマンとふたり、寝台特急「サンライズ出雲」に乗り出雲市まで行き、そこから特急と鈍行を乗り継いで東萩駅に降り立った。私たちふたりが乗車した沼津から、約15時間という長い列車旅で、家人には完全に変な目で見られてしまったのを覚えている。
萩は飛行場からのアクセスが悪いうえに、益田から先は特急列車が運行していない。しかもこの山陰本線は、町の中心部には敷かれず、かつては天然の外堀とされていた松本川と橋本川の外側を迂回しているのだ。萩と言えば「鉄道の父」と呼ばれた井上勝の出身地にもかかわらず、随分と寂しい限り。
だが実はこの“忘れられた境遇”こそ、萩が現在でも古地図を片手に町中を散策できる所以だった。もしも鉄道が町中を横断するように築かれ、駅が真ん中に築かれていたら、町の様相は大きく変わっていたであろう。そんな萩で古の姿を残しているエリアを、簡単に紹介しておきたい。
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