江戸時代に迷い込める「古地図で歩ける町」<br /> |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

江戸時代に迷い込める「古地図で歩ける町」

萩の街を古地図で歩く

鉄道駅が離れていたことが幸いし
藩政時代の区画がそのまま残された

 まずは指月山と萩城跡。萩城の天守閣をはじめとする建造物は、明治7年(1874)に取り壊されている。その後、城跡は美しく整備された公園になることもなく、かといって朽ち果てるでもなく、いい意味で現役っぽさを感じさせるまま残されている。

指月山

萩城跡

 同じようなことが、かつては上級家臣の屋敷が建ち並んでいた堀内地区(三の丸)にも言える。ここでは広大な武家屋敷の土地や、城下町時代の道路構成がそのまま見られるのだ。屋敷はほとんど残されていないが、家老の周布家、益田家、口羽家のなどの屋敷跡には、重文クラスの長屋門が良好な状態で、数多く保存されている。景観を損ねる高層建築物はひとつもなく、代わりに石垣と白漆喰壁に黒瓦葺屋根の土塀が果てしなく続く。鉄道の駅から大きく外れたのが幸いし、城下町時代の面影を色濃く感じられるのだ。

掘内1

掘内2

 そして現在、城下町地区と呼ばれているのが、桂小五郎や高杉晋作らの生家が残されている呉服町だ。ここはかつて中級藩士と藩の御用商人らが暮らしていたエリア。横丁と称される南北方向の道路は、御成道から新堀川に向けて緩やかに下っている。この町並みはしっかりと保存されていて、古地図散歩好きでなくても魅了されてしまうだろう。

高杉晋作旧邸

木戸孝允旧邸

田中義一邸

 藩政時代、堀内地区に屋敷を構えていた家老、寄組などの重臣たちが下屋敷を建てたのが平安古(ひやこ)地区だ。今も土塀の町並みと、鍵曲(かいまがり)と呼ばれる枡形の道が残されている。ここも、鉄道駅から遠く離れていたことが幸いした場所である。

 という具合に、萩は古地図散歩初心者でも十分に遺構が楽しめる町だ。関東はもちろん、関西からも遠く、アクセスに恵まれていない町だが訪れてみる価値は大。もっともアクセスの悪さも昔の姿が残されている要因なのだから、文句を言うことはできないが…… 。

明倫館

明倫館門

 

KEYWORDS:

オススメ記事