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維新の志士たちがいまの日本をみたらどう思うか!?

『世界に誇れる明治維新の精神』(ケント・ギルバート 著)が6月9日発売。

 

   平成30年の節目となる2018年は、明治維新から150周年に当たります。
 江戸時代の長い鎖国を終わらせ、明治維新に至るきっかけを作ったのは、他でもない私の祖国であるアメリカ合衆国です。
 今回、日本に長期在住しているアメリカ人の私の目に映る明治維新の姿と、その評価を教えてほしいという依頼を受け、この本をまとめることにしました。
 いろいろと考えを進めていくうちに、私の脳裏には、幕末に命がけで活躍した維新の志士たちが泣いている姿が浮かんできて、どうにも仕方なくなりました。
 明治維新を、ペリーの黒船が最初にやってきた1853年から、明治新政府が成立した1868年、そして戊辰戦争が終結する翌1869年までの一連の物語として捉えてみましょう。おそらくほぼすべての日本人にとって、それは誇らしく、気持ちが高ぶり、血沸き肉躍る歴史スペクタクルでしょう。
 坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰、勝海舟……日本各地から集まった大勢の若いスターが、京都や江戸、大坂、長崎など全国の町で交わり、激しく劇的な物語が展開し、胸のすくような出来事も、涙を誘うドラマにも事欠きません。歴史小説、映画、ドラマだけでなく、最近はアニメやゲームの題材にもなっていると聞きます。
 つまり、平成を生きる現代の日本人の中に、幕末や明治維新を批判している人は、ほとんどいないわけです。
 それなのに、私はなぜ明治維新を考えるとき、悲しくなってしまうのでしょうか。
 もし、幕末の志士や明治の英雄が現代によみがえり、平成30年、すなわち明治150年の日本と日本人を眺めた場合、間違いなくそこに大きな矛盾を感じると思うからです。より厳しい言葉を使えば、「欺瞞」を見つけて激しく憤るはずだからです。
 私が何をいいたいのか理解できない方のために、ある新聞から、いくつかの典型的な記事を引用してみたいと思います。

 これが戦後日本の平和主義の根幹をなす9条を改めようとする議論のあり方なのか。そのずさんさにあきれる。(中略)
 そもそも歴代内閣が合憲と位置づけてきた自衛隊を、憲法に明記するための改憲に、どんな必然性があるのか。
 首相は自衛隊を明記しても「何も変わらない」と言うが、そんな保証はどこにもない。
(以下略)
【2018年3月23日付朝刊 社説「憲法70年 ずさん極まる9条論議」】

 来年(2018年のこと)は明治元年から数えて満150年にあたる。(中略)
 気になるのは、全体をつらぬく礼賛ムードだ。
 政府は「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」とうたう。「明治の精神」とは何か。列記されているのは機会の平等、チャレンジ精神、和魂洋才だ。
 たしかに江戸時代に比べ、人々の可能性は広がった。一方で富国強兵の国策の下、生命を失い人権を侵された内外の大勢の市民、破壊された自然、失われた文化があるのも事実だ。
 歴史の光の部分のみ見て、影から目を背けるのはごまかしであり、知的退廃に他ならない。(以下略)
【2017年2月11日付朝刊 社説「明治150年 歴史に向きあう誠実さ」】

「気ままに聖地巡礼 3」幕末 桂浜・坂本龍馬像
 土佐人が歴史の産物
「大きいわねえ」「アメリカを向いてるのかな」。高知市の桂浜公園にある坂本龍馬像を見上げ、観光客が感心したように声を上げた。高さ13・5メートルの龍馬像は1928年に建立され、和服にブーツ姿で太平洋を見つめる。(以下略)
【2018年1月4日付 四国版記事】

「維新150年 長州発」萩、維新イベント続々
「萩・明治維新150年オープニングイベント」の開会式(萩市など主催)が20日、萩市民館で開かれた。藤道健二市長が主な記念イベントを紹介し、萩・魅力PR大使の任命式、吉田松陰の志に関する有識者の講演もあった。
 明治維新に活躍した志士を多く輩出した萩。維新150年の今年に予定される記念イベントをPRしようと企画した。市民ら約650人が参加した。(以下略)
【2018年1月22日付 山口版記事】

 これらはいずれも、日本の「三大紙」や「クオリティペーパー」などと呼ばれる朝日新聞に掲載された記事です。
 憲法九条改正に反対している朝日新聞が、社説では社の方針に矛盾しないような論理を展開し、「明治の精神」への「賛美ムード」を批判しておきながら、地方版の記事には、地元の英雄である幕末の志士を「賛美」している人々の動きを、むしろ喜々として、掲載しているのです。
 私には、憲法九条の改正に反対しておきながら、一方では幕末や明治維新のヒーローを褒めるような態度が、矛盾であり欺瞞だと映るのです。

 幕末の志士たちは、艦上から江戸の町を焼き払える最新の大砲を据え付けた蒸気船に初めて遭遇します。この圧倒的な軍事力を背景に不平等条約を結ばせたアメリカ、そこに便乗したイギリス、ロシアなど当時の大国、そして軍事力に屈する形となった江戸幕府に、志士たちは危機を感じたのです。あせりはあったでしょうが、あるべき未来の日本の姿を胸に描きつつ、諦めることなく懸命に動きました。
 当時の日本の国力のなさ、軍事力の劣勢、技術力の遅れを嘆き、同じ藩内ですら意見の違いを埋め切れず、ある者は絶交し、またある者は藩の枠組みを超えて手を結び、ついには江戸幕府を倒すための内戦を戦いました。そして、志を受け継いだ明治時代の人々は、最後には西欧に引けをとらない近代国家の形成を成し遂げます。強い国軍を作り上げて日清戦争に大勝し、大国ロシアとの日露戦争でも勝利します。その結果、不平等条約を解消し、植民地化されることなく国を守れたばかりか、日本は開国から五十数年で大国の地位まで手にしたわけです。幕末の志士たちや明治のヒーローが英雄視されるべき最大の理由は、そこにこそあるわけです。
 私は幕末や明治の英雄たちに聞いてみたい。現在の日本は、「平和主義」、「戦力の不保持」、「国の交戦権の否認」を憲法に定めて、これを変えることに多くの国民が抵抗を感じているが、このことをどう思うかと。
 彼らは言うでしょう。「ちょっと待ってくれ。そんなことで国が守れるわけないだろう。それなら、私たちがかつて身を切り、血を流してしてきたことは何だったんだ。なぜ日本はこんな国になってしまったんだ」と……。
 そして、国防に関する議論が幕末以前のレベルの低さに戻ってしまっている日本の現状を見て、その情けない姿に涙を流すことでしょう。いったい、あの時代に志を抱きながら死んでいった日本人たちは、今、どうやったら浮かばれるのかと嘆くはずです。
 朝日新聞読者の多くを占めるであろう九条護憲派の日本人に、私は尋ねてみたい。
 あなたはなぜ、戦勝国であるアメリカが「世界中で日本だけは二度と軍隊を持ってはならない」と一方的に決めた「日本国憲法第九条という不平等条約」に対して憤慨しないのかと。
 国を憂えて戦った幕末の志士、維新の英雄たちを尊敬し、誇りに思うのであれば、志士たちは何と戦い、何を勝ち取ったのかをよく考えるべきです。「国力も技術力もなく、今にも植民地化されそうな日本という祖国」を守るためにどうすべきか、極めて短期間で考えて、学び、行動した。国を守るための主導権を争って、日本人同士で殺し合い、260年以上も続いた統治の体制を変えてまで祖国を守ったのです。幕府側にも倒幕側にも「国防」という最大の目的があったからこそ、日本では大政奉還や江戸城無血開城が実現したのです。
 その「国防」に必要不可欠な軍隊を否定する九条護憲を主張しながら、明治維新の成功を礼賛するのはとんでもない論理矛盾です。
21世紀の現代であっても、「国家間の外交交渉は武力を背景に行う」という常識は150年前と何も変わっていません。護憲派の「憲法九条を守っていれば戦争にならない」という主張は、まるで寝言です。
 明治150年の節目に、多くの日本人が幕末や明治維新に思いをはせることは素晴らしいことです。他方、ただ手放しに、無邪気に礼賛したのでは無意味です。明治維新の中身、そこに至る過程だけでなく、なぜ明治維新が必要だったのか、今その意味をどう捉えるべきかまでを、セットで自問するべきです。
 黒船来航以降、自分の国が今にも外国勢力に食い尽くされ、滅びるかもしれないという危機感が、幕末の志士たちを突き動かしました。それでは今の日本人は、国が滅びるかもしれないという危機感を持ち、それを共有しているのでしょうか。
 明治維新150周年は、現在の日本人が祖国の危機的状況を考える絶好の機会です。
 その思いを持たずして、志士のかっこよさ、幕末のドラマ、明治の劇的な近代化を礼賛し、いくら酔っても、ただの娯楽に過ぎません。無意味で、むなしいだけです。
 薩英戦争や下関戦争で、向こう見ずに西欧と戦って実力差を痛感し、見よう見まねから西欧の技術を入れ消化していった歴史。たとえ「猿まね」と笑われようと西欧と同等の国と見てもらえるよう国内の制度や設備を整え、国外での戦争に勝利し、ついに非西欧世界で初めて文明的な大国と認めさせた日本。その意味を振り返らずに、安易に明治維新を褒めたたえるのは、かえって「亡国への道」に進みかねません。私が、明治150年の日本人に向けて訴えたいこととは、まさにこれなのです。

【目次】
第1章 明治維新という奇跡
第2章 なぜ日本は明治維新ができたのか
第3章 明治という時代、そして敗戦へ
第4章 明治維新150年、日本人に覚悟はあるのか
 

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ケント・ギルバート

1952年、アイダホ州に生まれる。1970年、ブリガムヤング大学に入学。翌1971年に初来日。その後、国際法律事務所に就職し、企業への法律コンサルタントとして再来日。弁護士業と並行してテレビに出演。2015年、公益財団法人アパ日本再興財団による『第8回「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀藤誠志賞を受賞。著書に『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』、『中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇』(ともに講談社+α新書)、『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』(PHP新書)、『日本人だけが知らない世界から尊敬される日本人』(SB新書)、『米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番』(小社刊)などがある。


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  • 2018.06.09