日本のネット界に蔓延る「ユートピア志向権力者共同謀議説」に御用心【藤森かよこ】
ユートピアの実現など夢見ている暇はない
■「ユートピア志向共同謀議論」の前提にある深い無力非力感
2021年4月も終わりに近づいてきた現在、一時期ほど、ネット界に「ネサラ法実現のためにトランプや米軍やNSAが秘密裏に活躍していて、もうすぐその全貌が明らかにされ、正義が為される」という言説は下火になっている。
私が、このネサラ法という「ユートピア志向権力者共同謀議論」を知って感じたことは、この種のものは、「ディストピア志向権力者共同謀議論」よりも危険だということであった。
「ディストピア志向権力者共同謀議論」には、前提として「騙されてたまるものか」という主体的な意志がある。「向こうがその気ならば、こちらはあからさまに抵抗できなくても生き抜いてやる」というような闘志がある。
しかし、「ユートピア志向権力者共同謀議論」の前提にあるのは、「どこかの誰かが理想の経済金融システムを作るために、表面に出ないで戦ってくれているから、いつかきっと素晴らしい社会ができる。私たちはそれを待とう」というあなた任せの依存的姿勢だ。その姿勢の前提にあるのは無力非力感だ。
確かにネサラ法の19項目(もしくは20項目)が実現されたらいいなと私も思う。しかし、こうすればいいという自明のことがなかなか実現されないのが人類の歴史だった。歴史を学べば学ぶほど、この世界には救済もユートピアもないと私は思うようになった。
もちろん、今までの歴史に実現したことがないから、未来に実現しないということは言えない。科学技術はさらにさらに発展し、病気など「メドベッド」に寝ていれば消え、誰もが30年から50年も若返ることができる日が来るのかもしれない。あらゆる病気を治す量子ヒーリングベッド、メドベッドで驚異の医療革命!? | 秒刊SUNDAY (yukawanet.com)
ひょっとしたらネサラ法が実現して、今の経済金融システムの邪悪さが是正される日が来るのかもしれない。
しかし人間が作るシステムに完璧なものはない。人間存在そのものがろくでもないからだ。人間の作る世界からろくでもないものが消えても、またさらもうひとつのろくでもないものが出現する。
現実的には、私たちは、今というこの時間しか持っていないので、ネサラ法実現など夢想していないで、今を充足させるしかない。今の現在の社会の歪みや不正に用心しているしかない。
私は思う。ネサラ法を最初に構想したとされるハーヴェイ・フランシス・バーナードの意図とは離れ、現在の日本のネット界に密かに夢見られているネサラ法は、それこそ「ディストピア志向権力者共同謀議」の主体者たちが、自分たちの共同謀議を隠すために垂れ流しているステルス・ユートピア妄想かもしれないと。 やはり、あいつらは巧妙で狡猾である。
文:藤森かよこ