結婚・離婚・再婚を経験した母が娘へ伝えたいこと。
「人生の荒波」を超えるたった一つの態度
「ママはいつも肝心なところで逃げる」というのが麻矢の私への決まり文句だが、そんな時は口に指を立てて、「何も言わない方がいいよ」と目で合図してくれるのも孫だった。
麻矢は娘たちを巻き込み、喜怒哀楽を共にした結果、人生の機微を娘たちに教えていたのかのかも知れない。
いま麻矢は、私が離婚をした年に近くなり、二人の娘も成人し、父の遺志を継いで劇団経営という仕事をし、三度目の結婚で私生活もようやく落ち着き始めたようだ。父親ほど年の離れた結婚相手は激しい愛ではなく慈愛に近い温かさで包んでくれているように私には見える。
連れ子である二人の娘たちへの配慮も、距離感を保ちつつ、親身な関わりを見せてくれている。
良い人が隣に寄り添うまで何度結婚したっていいじゃないと麻矢を見てつくづく思う。
二人の娘たちは大きくなり、それぞれに自分の世界をつくり、私自身はいよいよ人生の黄昏時に突入し始めた。八〇歳を前に正直身体には疲れを覚える。
還暦になったら自分のためにではなく人のために生きろといった父の言葉を金科玉条のように生きてきた私も、老いてますます盛んではなく、老いてますますアカンの心境となった。
しかし、ここで、一件落着といかないのが人生。
これからどんな苦難の道が待っているかそれは誰にもわからない。
乗り越えられる意志と若さがあるうちは幸いだが、なんといっても身心共に若くはない。
私は短し他人は長し。
私がこれからも打ち寄せてくるであろう人生の波を乗り越えられるとすれば、その都度直面するすべての事柄を「面白がる」ということしかないかもしれない。
それは私の人生に幕を下ろす時、「ああ、面白かった」の一言で幕引きしたいという願望があるせいだろう。
私は私らしく、ここらで一区切りとスパッと終わりたいと思っているのだ。むろん、人生の立ち会い人として、娘たちにはぜひ見守ってほしいし、最後まで寄りそう母娘でありたいと思っている。
〈『女にとって夫とはなんだろうか』より構成〉
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