大坂冬の陣・野田福島の戦い跡を歩く【前編】
季節と時節でつづる戦国おりおり第344回
上本町から谷町九丁目まで地下道を歩き、地下鉄千日前線で玉川駅へ。地上に出るとすぐ、交通量の多い通りに面したマンションの一角にこんな石碑が建っています。
野田城跡。
ここから少し東に入ると極楽寺という古刹がありますが、その門前にも「野田城趾」の石碑が建っています。
このあたりはかつて淀川と大和川が大坂城の北で合流して天満川となり、それが西へ流れ下ってさらに木津川と合流する地点に近く、大坂の西の水運の要衝でした。
そのため古くから争奪の対象となることが多く、天文2年(1533)には本願寺証如がここで六角定頼に包囲され、門主の危機を救おうとした門徒の農民たち21人が命を落としました。のちに証如が記した『野田御書』には、「労しさ(いたわしさ)は是非に及ばない。しかしながら、上人の身代わりになってくれたことは頼もしくありがたい。討ち死にした方々は極楽往生を遂げること疑いない」と野田の人々への礼が述べられています。衆生救済が現世でなく来世を保証するものであるというのは、宗教のリーダーにとって本当に都合が良いことだと思いますね。
それはともかく、今回大坂の陣には全然関係無いじゃないかというお叱りを受けそうなのですが、そのあたりは次回にて。