井上ひさし氏の娘が父に「配達されない手紙」を書く理由
悲しみを超えるたった一つの覚悟
あの時、そんな思いを気づいてもらいたいと思って母に手紙を書いていたのだけれど、母はもちろん知る由もない。手紙とか、今ならメールとかLINEとか、その人が発する言葉に耳を傾けてみたらもっと心の中がわかるのではないかと思う。だから私は娘たちによくラインを送ることにしている。
娘たちは私によくLINEをくれるけれど、その返事の仕方がいかにもその子らしい時にこうして手紙でなくても伝わることってあるのだなと感じる。それでもこんなに簡単に誰かとつながることがいいことなのか悪いことなのかわからない時もある。少なくとも相手の字は見ることができないし、その字ににじみ出る人柄もわからない。
それにしても手紙とはなんと素敵なものだろう。ロミオとジュリエットでは、神父様の書いた手紙をロミオが見れなかったためにあの悲劇が生まれたし書簡文学という素敵な趣向が散りばめられた作品もこの世に生まれなかったであろう。
私は一日に何通も手紙を書く。
午前中はほとんど机に座ってお礼状を書いて過ごす。字がうまく書けない日もあれば、一気に三〇通の手紙を書いてしまうこともある。
手紙を送る、そして思いを伝えるということがまだまだ主流だった時代、手紙を書いて返事をもらうまでの時間に人は考えを熟成させてきたに違いない。一方的に送りつけて返事がないと怒るなんてことはきっとなかったと思う。この一度時間を置くという作業がいかに人を想像力豊かな人間にしているかは計り知れない。人生はそんなに簡単にすぐにことは進まない。焦らずに自分の中で考えを熟成させていくことできっと人は人とより深く理解し合えると思うの
は私だけだろうか。
時間という誰にでも平等で誰にでも容赦がないもののおかげで、人の心も熟成していくのだ。
配達されない手紙を書く人は、この世にたくさんいることだろう。手紙はいつも一対一の会話のようなものだから、きっとこの手紙を書かなくなる時が来るまでは、父に手紙を送り続けていく。
〈『女にとって夫とはなんだろうか』より構成〉
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