サッカーライター経験ゼロでドイツに飛んだ男のキャリア戦略
職業としてのサッカーライター①
■ライター経験なしでドイツに飛び込み!
「2006年のドイツW杯に前乗りして、ドイツで暮らしていました。でも特別、ドイツという国に興味があったわけではないんです」
その選択の裏にはしたたかな「戦略」があった。
「海外でライター経験のある方に相談していたんですが、いわくイタリアとかは堀り尽くされているから、行くんだったらそういうところじゃないと。当時イタリアには中田英寿がいてセリエAが大人気。そういう所に行ってもなにもできない。逆にドイツはW杯もあるし、(ライターは)ブンデスリーガを専門にやっている人が当時は少なかった。じゃあ僕はドイツに精通しているという、強みを持とうと思ったんです」
身一つでドイツに飛び込み最初の3ヶ月はユースホステルに泊まっていたという。そこで仲良くなったブラジル人にカメラを盗まれるという予想外のハプニングに襲われながらもライター・清水英斗のキャリアが始まっていく。
「スポーツ新聞にも売り込んだりしましたが、一番最初に引っかかったのがスターサッカーという雑誌です。あの当時ジーコジャパンがめちゃくちゃ人気があったので、すごくいっぱい雑誌が出てきて。結局惨敗と共に一気に潰れたんですけど、その出てきた雑誌の中に『スターサッカー』があった。そこでいろいろやらせてもらえました」
書く内容はサッカーとは限らなかった。
「『スターサッカー』自体が、サッカーが行われている街の文化を取り上げようという、めずらしい趣旨の雑誌でした。ドイツW杯があるなら、ドイツを知ろう、サッカーの背景を知ろうという。
それで僕がやったのがドイツプロダクトの記事です。シェーバーで有名な『ブラウン』、ちょっと遊びの利いた小物を作っている『コジオール』、そういうドイツ企業がどういう理念でモノを作っているのかを取材して記事を書いたり。他にはフランクフルトとソーセージの起源、みたいな記事も書いていましたね。すべてはサッカーを育んだ文化の背景を知る、ということでした」