サッカームラ以外を狙う。ライター清水英斗氏が意識する“ふくらみ”
職業としてのサッカーライター②
【第1回:サッカーライター経験ゼロでドイツに飛んだ男のキャリア戦略】
■サッカーを身近に。サッカーをテキストに。
清水さんの著書のタイトルを眺めると面白い。「観戦」とついたものから、「居酒屋」や「織田信長」などサッカーとは程遠いキーワードが入ったものまである。そこからも読み取れるが、清水さんのライティングの根底にあるのは「サッカーの話を身近なものにしたい」という思いだ。
そしてサッカーをテキストに、いま自分たちが生きている社会に対して問を投げかけることもできる。
「この前のヨーロッパチャンピオンズリーグで言えばリバプールのGKカリウスがすごいミス※をしました(※不用意なアンダースローをカットされて失点)けど、それに対してサポーターが“we win together .we lose together.”(勝つのも負けるのも共に)ってエールを送ってたじゃないですか。そうした精神って、いま自分たちが生きている社会に現れているのかな?そういう問いかけをしていきたいんですよね。戦術とか、学問の話に終始せず、サッカーはわたしたちの生活のすぐそばにあるもの、というイメージにしていきたいんです」
つまるところ、サッカーとは単なるスポーツの枠を超えて、人間の生き方や人間関係、社会構造を映す鏡でもあるのだ。
例えば日本で社会問題化している体罰も、他国の少年サッカーの現場を見ることで、問題の根っこがどこにあるかわかる。
「スペインでは、少年サッカーで、子どもたちは練習内容に納得がいかなかったら、ボイコットしたりします。大人たちにその練習の内容、目的を説明させて自分達が納得しなかったらもうやらない、と。なので指導者は子供たちを納得させるような説得力のある伝え方、メニューを用意しなければならない。指導者の方が1回1回試される。そんななかに体罰なんてどうやって入り込む余地があるんだと。
そう考えると日本のスポーツ指導の現場で体罰が起こるのは単なる指導者の怠慢、指導力のなさ故なんだと気づくんです。先ほどのスペインの子供たちの例で言えば、彼らがボイコットができるのは、それをしても他のチームに行けるからなんですよね。そういう受け入れ先が日本にはない。部活しかない。そして辞めた後に他の学校でサッカー部に入ったとしても、決まりで一定期間試合に出場できなかったりする。そういうものに縛られているせいで、3年間クローズドの環境で指導者の横暴が成り立ってしまう。そういう体罰の問題もサッカーをテキストにして、ちょっと違う見方をするだけで見えてくるんです」
清水さんがサッカーを書く理由はそういうところにある。それは、ペンの力でサッカー日本代表を強くしたい、といった動機とは少し違う。
「(そうした面では)無力であるとも思います。あくまで自分は外から見ている立場。ハリルホジッチがどんなに良い監督だと力説したところで、解任されるときはされる。逆に、もしやりたいことがそこにあるのであれば僕はとっくにJリーグのクラブや協会に入っています。僕はあまり周りくどい考え方が好きではなくて、そういう思いであれば絶対指導者や代理人になって直接的に選手をサポートする道を選んでいます。W杯で優勝するかどうかということよりも、文化。文化というと幅広いんですけど、みんなの近くにサッカーが根付いてほしい。その中でみんなの悩み事なんかもサッカーを通して解決できるような根付き方をしてほしい。そういう思いがありました」
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