「正義に御用心!」正義もまた胡散臭いものと思えるのは教養【藤森かよこ】
正義のために事実は黙殺されがち。正義の行使の動機が善とは限らない。
■正義の行使が事実を隠蔽し悪しき結果を導くこともある
たとえば、私は『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(KKベストセラーズ、2019)において、「とりあえず男を見たら性犯罪者だと思うことは若い女性の教養だし、中学や高校の生徒手帳の最初のページに標語として印刷されるべき知恵だ」(88頁)と書いた。
『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いからではなく自業自得なのだよ』(大和出版、2021)においては、「男性のかなりは女性のかなりよりも性欲が強い。だから男性のかなりは性依存症だ。痴漢や露出狂や強姦魔など、性犯罪者のほとんどが男性ではないか。最近は、児童や生徒に猥褻なことをして解雇される学校の教師に関する報道が目につくが、これもほとんど男性教師だ」(31頁)と書いた。
今までのところ、これらの記述について「男性差別だ!」「男性憎悪(misandry)だ」とか「男性にも人権はある!」とか表立って非難攻撃された経験は私にはない。しかし、今のところはソーシャルメディア上だけのポリコレ・ヒステリーに過ぎない現象が、万が一にも社会一般に広がったら、これから先はわからない。
ポリコレ・ヒステリーについては、以下の拙文をお読みください。
◆ポリコレ・ヒステリーは「社会の進歩に伴う問題」かもしれない【藤森かよこ】 |BEST TiMES(ベストタイムズ) (kk-bestsellers.com)
しかし、性犯罪者は圧倒的に男性であることは事実である。猥褻男性教師が存在することも事実である。ならば、私が提案する「とりあえず男を見たら性犯罪者だと思う」ことが女子小学生や女子中高校生にとって自己防衛法のひとつとなる。「男性の先生には必要最低限しか接近しない。やたら仲良くしない」ことが彼女たちの常識になってしかるべきだ。
こう書くと、「男性教員差別」だと批判される可能性もある。男性教師への偏見と先入観を助長するとして、私が書いたことが反ポリコレであると糾弾されるかもしれない。
女性の人権と同じく男性の人権は守られねばならないし、男性教師の人権も守られねばならないということは、まごうことなく正義であり常識だ。しかし、その正義を絶対的に聖域化するあまりに、性犯罪者のほとんどは男性であるし、猥褻男性教員は存在するという事実に言及することをタブーにすると、不用心で情報不足な女性や女子は性犯罪や性的虐待の犠牲者になりやすくなる。
似たことがアメリカでは起きている。人種差別を促進してしまうかもしれないという配慮のために、犯罪報道で白人が犯人の場合は大きく取り上げるが、黒人が犯人の場合は小さく報道するか報道しないという傾向がある。
◆アメリカのメディアの人種報道偏向(古森 義久) | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)
これは私がアメリカ人から聞いたことだが、男児誘拐事件の犯人がゲイである場合は、ゲイ差別を助長するかもしれないという慮りから、その事実についてアメリカのメディアは報じないそうだ。ならば、犯人が黒人でゲイであるならば、絶対に報道されないのかもしれない。
人種差別や同性愛者差別を促進しかねない行為をしないことは正義だ。だからといって事実をないこととしてすませる姿勢はまずい。事実は事実なのだから報道すべきだ。幼い女の子が男性に気をつけるべきであるように、幼い男の子も男性に気をつけるべきだ。有色人種が白人種より道徳的だということもない。犯罪者は、どの人種にも民族にも存在する。
ひょっとしたら、日本のメディアも「正義」のために事実の報道を控えているかもしれない。日本在住のある国々の出身の人々の凶悪犯罪をする率は非常に高いが、それらの人々の国籍は報道されないという噂はずっとある。真偽はわからない。
私たち一般の人間にとっては、報道されない事件は、起きなかったことと同じだ。存在しないのと同じだ。正義や大義名分のために報道されなかった事実が増えると、私たちは現実世界の中ではなく、虚構の世界に生きていることになってしまう。現実認識ができないままになってしまう。現実から遊離してしまう。現実に適切に対処しそこなう。それは危険だ。