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「コロナ禍の不自由さ」を福沢諭吉ならどう考えたか?【中野剛志×適菜収】 

中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第1回

福沢諭吉(1835-1901)。啓蒙思想家、教育者、著述家。

■福沢が「瘠我慢の説」を解いた理由

 

中野:そうですね。もちろん新型コロナも明治維新も大きな出来事なので、「一身にして二生を経る」というような歴史の過渡期を経験することは、そう滅多にないのかもしれない。しかしながら、その一方で小林は「過渡期でない歴史はない」とも言っている。これも非常にいい言葉です。歴史は常に動いている。だから「一身にして二生を経る」ような今までの経験が通用しない、その環境に自分で処していかなきゃいけないことというのは、実は、常にある。人間はいつでも、多かれ少なかれ、変化する環境に制約され、それに対処しなければならないということがある。現在、我々は、コロナ禍という厳しい制約の下で生きざるを得なくなっています。

 そういう時代の制約から逃れる、つまり「新型コロナがなければ自由なのに」というのは、リバティーという意味の自由です。しかし、それがフリーダムであるとは限らない。もしかしたら大変ご苦労されているので勝手に想像したら悪いかもしれないけど、例えば、尾身茂先生をはじめとする公衆衛生や感染症の先生方、あるいは現場の医療従事者の方々は、大変な事態に巻き込まれて、自分の好きなこともできないし、休む暇すらない。リバティーって意味では、極めて不自由な生活をされている。けれども、なんとかこの難しい状況を打破して国民を説得しなきゃいけないとか、いろいろ努力されている。先生方は科学者として、公衆衛生の専門家として、あるいは医師としての自分の職業・使命から、ご苦労されているときには、リバティーはないんだけれども、実はフリーダムはあるんじゃないか。感染症の学者や医療従事者として、今ほど使命感を覚えるときはないはずだからです。

 

適菜:なるほど。それこそ天職ですね。

 

中野:そういうフリーダムとしての自由というものを、日本に限らず、近代社会はきちんと理解してこなかった。

 福沢が言った「私立」とは、日常的に言われている自由とはかなり違う。自由にも「リバティー」と「フリーダム」があると言いましたが、いわゆる「リベラリズム」は、その言葉のとおり、リバティーのほうの自由の主義なんです。それは近代以降の比較的新しい概念です。マキャベリのいた頃のルネッサンス期とか、あるいは古代ギリシャの自由には、フリーダム的な意味がある。「共和主義的な自由」とも言います。要するに、自分が生まれた国で自分の役割を果たすという意味合いが強かった。この「フリーダム」のほうの自由を福沢は「私立」と呼んでいたと思うのです。つまり、環境制約とか自分の職業の制約の下、その自分に課された役割を全うすることが自由だという意味として、「私立」というものを考えていた。そう解釈することで、初めて福沢が「瘠我慢の説」を書いた理由が分かってくる。福沢が「リバティー」を説いているのだとしたら、なぜ福沢が「瘠我慢の説」を唱えたのか、理解できないはずなんです。

 

適菜:福沢の「瘠我慢の説」を小林は重視していました。

 

中野:その通りです。「瘠我慢の説」というのは、簡単に言うと、幕末から明治にかけて、勝海舟とか榎本武揚とか幕臣だった人間が、明治政府と妥協したり明治政府に仕えたりしたのを福沢が批判して、「三河武士たる者、敵側につくなど、けしからん」「瘠我慢してずっと明治政府には協力しないということを貫けよ」と言ったのです。そのため、世間は「 お前、文明開化って言ってたのに、三河武士って、急に何なんだよ」と驚いた。ところが福沢が説いた「私立」をフリーダムのほうで考えると、むしろ幕臣として三河武士以来の武士道を背負い、それを全うすることが「私立」であり「自由」であるのです。

 とは言え、「自由」「私立」という言葉もなかなか福沢の言いたい意味に合致しないものだから、福沢自身がそれに「瘠我慢」という言葉を当てた。「瘠我慢」と言えば分かるだろうというわけです。そのことについて小林がいたく感心している。確かに「瘠我慢」というのは面白くて、我慢だから制約されていることなんだけど、瘠我慢は「俺は自発的に我慢してるんだ」ということでしょう。だから環境制約を受け入れるという意味の「自由」は、まさに「瘠我慢」だなということです。フリーダムという、共和主義的な自由を「瘠我慢」という言葉で表現する福沢のセンスはすごいと小林は感心しているわけです。

 

適菜:この「瘠我慢」という言葉を、今の時代に当てはめるとすると、どうなりますかね?

 

中野:先ほど言ったように、感染症の専門家や医療従事者は、大変な事態の中で使命感をもって頑張っておられるから、「瘠我慢」ですね。それだけではなく、緊急事態宣言下での外出自粛も、「瘠我慢」と言っていいんじゃないですか。もっとも、政府は、国民の「瘠我慢」にばかり頼っていないで、もっと支援を手厚くすべきだとは思いますが。とにかく、多くの日本人は、人の命を守るため、コロナを収束させるために、立派に「瘠我慢」していますよ。その「瘠我慢」を「コロナ脳」だとか「社交を知らないから自粛できるんだ」とかいって騒いだ知識人がいました。その知識人は、自由と言えば「リバティー」だけで、「フリーダム」のことは知らないのでしょう。

 

次のページ今の日本で真っ当な保守思想を唱えている人間は、死に絶えているのか?

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●目次

はじめに———デマゴーグに対する免疫力 中野剛志

第一章
人間は未知の事態に
いかに対峙すべきか

第二章
成功体験のある人間ほど
失敗するのはなぜか

第三章
新型コロナで正体がバレた
似非知識人

第四章
思想と哲学の背後に流れる水脈

第五章
コロナ禍は
「歴史を学ぶ」チャンスである

第六章
人間の陥りやすい罠

第七章
「保守」はいつから堕落したのか

第八章
人間はなぜ自発的に
縛られようとするのか

第九章
人間の本質は「ものまね」である

おわりに———なにかを予知するということ 適菜 収

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中野剛志/適菜収

なかの たけし/てきな おさむ

中野剛志(なかのたけし)

評論家。1971年、神奈川県生まれ。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“TheorisingEconomicNationalism”(NationsandNationalism)NationsandNationalismPrizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『日本経済学新論』(ちくま新書)、新刊に『小林秀雄の政治哲学』(文春新書)が絶賛発売中。『目からウロコが落ちる奇跡の経済学教室【基礎知識編】』と『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)が日本一わかりやすいMMTの最良教科書としてベストセラーに。

 

 

適菜収(てきな・おさむ)

作家。1975年山梨県生まれ。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム近代的人間観の超克』(文春新書)、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』、『国賊論 安倍晋三と仲間たち』『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)、最新刊『コロナと無責任な人たち』(祥伝社新書)など著書40冊以上。「適菜収のメールマガジン」も配信中。https://foomii.com/00171

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