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信長の遺骸はどこに消えたのか③

覇王・織田信長の死生観 第11回

天下統一を目前に控えた織田信長は、
本能寺の変で突然の死を遂げた。
最期まで自ら槍を取り戦った信長の人生は
命知らずの破天荒なものだったのか?
信長は死をどのように捉えていたのか?
そして、ついに見つからなかった死体の行方は?
未だ謎多き信長の人生と死に迫る!

 

 では、あらためて、信長の遺骸はどうなったのか検討しよう。史料上の手がかりがないのだから、「いいかげんな説」との批難を覚悟して推測するしかない。

 おそらく直接放火された納戸近辺は火の回りが激しく、すっかり炭化してしまったものと思われる。そこでは、信長を含めて何人もの遺骸が分別できない状態に変わっていた。光秀は、そのような状態になった遺骸まであえて分別しようとしなかったのではなかろうか。信長が死んだことは間違いないのだから。あまりにも刺激的な行動をとることは、今後の自分の立場を考えると決してプラスにはならない、という判断である。

 そして本能寺の中にあった遺骸は、最後阿弥陀寺に引き取られて供養されることになる。信長の遺骸もその中に含まれていたのだろう。

 以上が遺骸の行方に関する1つの妥当な可能性であるが、前述のように想像の域を出ない。ここで、確かな史料が残る信長の法事と法名に話を移そう。

 変の11日後に山崎の戦いがあって、光秀が最期をとげる。そして6月27日、織田家の重臣が集まって、変の後始末についての話し合いが行われた。いわゆる「清須会議」である。

<次稿、覇王・織田信長の死生観 第12回につづく>

<前回の記事、覇王・織田信長の死生観 第10回はこちら>

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谷口 克広

たにぐち かつひろ

1943年、北海道生まれ。横浜国立大学卒業。戦国史研究家。織田信長研究の第一人者。主な著書に「織田信長家臣人名辞典」(吉川弘文館)、「信長と消えた家臣たちー失脚・粛清・謀反」(中公新書)など。


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