「近代洋画の父」黒田清輝は、楽しくマイペースに生きていた?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第44回 ~黒田清輝
○遊び心40%(食神)
生活に遊びを自然に取り入れることができる星。中でも「食神(しょくじん)」は、みんなでカラオケに行ったりお食事をしたりおしゃべりをしたりするのが大好きな星。おおらかで子どもっぽく無邪気な性格でもある。とにかく楽しいことが大好きで、嫌なことはやりたくない。そんなわかりやすい性格でもある。清輝は、「食神」を2つ持っており、この性質が強まっていた可能性がある。
1884(明治19)年、17歳の時に法律の勉強をするためにパリに渡った清輝。清輝の養父は以前紹介した、黒田清綱。子爵家という立派なお家柄である。もちろん、法律家か政治家になることが期待された。しかし、留学して2年後の1886(明治21)年、養父・清綱に画家の道を目指す旨の書簡を送り、フランス人画家ラファエル・コランに入門した。清綱は最後まで画家への転向には反対であったそうだが、清輝はやりたいことをとことんやりたい!そんな性格だったのだろう。ついに、日本、そして世界を代表する画家へと昇りつめた。
清輝の甥の黒田清邦は、清輝について、「風貌はこの上なく優しく穏やかだった。」「大の猫好きで、笄町の家には常に十匹が住み付いていた。」と話したように、おおらかで穏やかな性格だったのだろう。
○知性30%(印綬)
知性は何かを学ぶことが好きで、物事を論理的に捉えるのが得意。「印綬(いんじゅ)」は、学校の勉強がよくできて、幅広い知識を持っている。人を教えるのも好きな性格の持ち主だ。
○自立心30%(比肩)
「自立心」の星は、他人に頼らず自分が信じた道を突き進む強い精神性を持ち、リーダーシップがある。中でも、「比肩(ひけん)」は、自立心、独立心旺盛のマイペースタイプ。頑固で束縛を嫌う。一匹狼で負けず嫌いである。この星を2つ持つ清輝はその性質が強まっていた可能性がある。
法律を勉強しにパリに留学したにも関わらず、養父・清綱の反対を押し切って画家になったというあたり、我が道を行くタイプであると想像されるが、その後もたびたびマイペースぶりを発揮し、養父・清綱と対立した。
清輝には、代表作「湖畔」のモデルにもなった妻、金子たね(後に黒田照子)がいるが、たねは、桐生の士族で、銘仙や絹織物の製造販売を行っていた金子傳兵衛の三女であり、爵位のある家でなかったため、清綱が存命の間は正式な妻として認めなかった。
清輝はたねを養女の扱いで平河町の黒田邸に住まわせ、「照子」と呼ぶように邸内に命じた。父・清綱の逝去後、1922年に照子は北海道在住の南鷹次郎の養女となりその後正式に黒田清輝の妻となった。父の反対にあいながらも、何とか自分の思いを遂げる…マイペースで芯のある清輝の性格が伝わる。