笠間城探査で超えなければならない2つの障害
外川淳の「城の搦め手」第69回
■「大城郭笠間巨城-後編」
戦国時代末期に築かれた笠間城の本丸を取り囲む3つの出城状の遺構は、見応えがある。
ただ、このように、すごい城だと紹介しながら、探査するには、越えなければならないふたつの障害がある。
障害1
笠間城の本丸周辺は、史跡として認識され、まあまあ整備されているものの、3つの出城については、まったく城の一部として認識されてなく、探査には、ブッシュとの格闘を強いられる。
本丸より南側と東側の出城は、なんとか中心エリアまで到達できたものの、西側の出城は、接近経路がわからず、探査を断念している。
つまり、第1の障害とは、城跡として認知されず、ブッシュが伸び放題な現状を意味する。
障害2
探査には、『中世城郭研究第22号』)掲載の三島正之氏作成の縄張り図が必要不可欠にもかかわらず、入手するには手間がかかる。
具体的な入手方法は以下となる。
三島氏の縄張り図は、国会図書館でコピーするか、ネットで検索し、中世城郭研究会のサイトへたどり着き、郵送による購入を手配する。
つまり、笠間城の巨大さを実感するには縄張り図が不可欠であるにもかかわらず、入手困難であることが第2の障害となっている。
構造を見極めながら城を探査するには城郭研究者が作成した縄張り図は不可欠であり、一昔前と比較すると、縄張り図も容易に入手できるようになった。
ただし、膨大な労力を駆使して作成された縄張り図が無許可でネット上に公開される、または他人の書籍に掲載されるなど、好ましくない事例も少なくない。
日本中の城の縄張り図が容易に手に入れられるとともに、作成者の苦労が報われるようなシステムが構築されることを願う。