城を舞台にした暗殺事件
外川淳の「城の搦め手」第70回
かつて『歴史人』で 「幕末維新の時代になぜ暗殺が多く起こったのか?」に関して執筆した。 そこでは、動乱の時代に多発した暗殺事件についてさまざまな角度から分析を加えたが、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。 ということで、「BEST TIMES」を利用して、城を舞台にした暗殺事件を紹介してみたい。
■松崎渋右衛門
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天守台より桜の馬場を望む。 中央の3層の建造物が艮櫓。その左手が太鼓門。 松が生い茂っている一角が惨劇の現場となった桜の馬場にあたる。
高松藩(現香川県)士。明治2年9月8日、高松藩内の保守派は、新政府の支援を受けて藩政を掌握する、松崎渋右衛門を御家乗っ取りを策す奸臣として、高松城内で暗殺。享年43。
この暗殺事件は、旭門という城門を舞台にした惨劇だった。事件の当日、13人の反体制派の高松藩士たちは、旭門の中で松崎の登城を待ち受けていた。
松崎が旭門のなかに入ると、門を閉め切ったうえで大小を取り上げて身柄を拘束する。
城の外側にあたる旭門と、内側に位置する太鼓門とは、ワンセットで枡形門を形作っている。
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高松城天守台 写真は解体修理開始前の7年前の状態。解体修理作業の完成とともに、 天守再建が望まれる一方、正式決定には至っていないらしい。
枡形門のなかで暗殺者が待ち構えていれば、ターゲットは逃げる手段はなかった。
暗殺者たちは、桜の馬場へと連行したうえで、御家乗っ取りを策す大罪人として松崎を暗殺した。
結果として、暗殺者は明治政府によって厳しく処罰され、この一件により、時代が動いたこともなかったが、城内を舞台にした暗殺事件という珍しさから取り上げてみた。