現代とは別物だった真田時代の上田城
外川淳の「城の搦め手」第71回
■真田時代の上田城をCGで再現
『歴史人』ではよく籠城戦など、城を巡る攻防について 執筆してきた。たとえば、郡山城、佐嘉城、唐沢山城攻防戦などについて、さまざまな角度から分析を加えたが、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。
ということで、「BEST TIMES」を利用し、激闘の舞台として有名な、真田時代の上田城について紹介してみたい。真田昌幸は、上田城に立て籠もり、二度にわたって徳川勢を撃退したことで、天下に名を響かせた。
だが、真田時代の上田城は、関ヶ原合戦後、幕府によって徹底的に破却されてしまう。
元和8年(1622)、真田氏が松代へ転封されるとともに、仙石氏が上田城主となると、再建工事に着手。
つまり、現代の上田城は、同じ地点にはあっても、真田時代の籠城戦での上田城とは別の城だともいえよう。
そのような視点から、『歴史人』誌上でもよくCGを提供されている、成瀬京司氏が作成された第二次上田城攻防戦のCGを精査してみると、真田時代の上田城を再現しようという「こだわり」が感じられた。
真田時代の上田城は、地下に埋没してしまい、その縄張りは謎に包まれている。
CGの上田城は、基本的形状は仙石氏時代を基本としながらも、本丸のコーナーに天守が聳えているのをはじめ、櫓の数を増やすなど、現状との差異がつけられている。
『歴史人』の城に関わる特集でも、このような部分について、見極めれば、より上田城や攻防戦への興味も増すだろう。