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石田三成の太閤検地と関ヶ原合戦

外川淳の「城の搦め手」第73回

■脇本城

秋田実季が支城として築いた脇本城

 脇本城は、檜山城主の秋田氏の支城に過ぎず、石垣は利用されていないものの、壮大な規模を誇る。秋田氏は、三成の指導を受け、石高を過小申告し、それによって生じた余裕で巨大な支城を築いたと想定できる。

 数年前、ふとしたきっかけから、関ヶ原合戦は、三成の検地を受けた西軍と浅野長政の検地を受けた東軍との戦いであるという仮説を抱くようになった。

 ある意味、「石田三成からみた関ヶ原の真実」という題の記事を執筆する機会を与えられたことは持論を展開するチャンスではあったものの、ここで紹介するに止めた。

 次回は、唐船山台場の探査結果を図面付きで紹介の予定。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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