“現実は受け入れるものである”「如実知見」の教え
向谷匡史氏インタビュー④
元週刊誌記者という異色の経歴を持つ僧侶がいる。新刊『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』を著した、向谷匡史氏だ。仏教とヤクザを描く、独特の視点を持つ氏の頭の中をのぞいた。全5回の連続インタビュー第4回。
前回は今回の新刊のアイデアについてお話しいただきました。今回は向谷氏が本書の読みどころについてお話ししている。
前回は今回の新刊のアイデアについてお話しいただきました。今回は向谷氏が本書の読みどころについてお話ししている。
■「悪人」という表現の真意
――タイトルに「悪人正機」という教義を据えた理由は、仏教とヤクザを対比するためですか?
ここでいう「悪人」というのは、道徳的な意味で悪いとか、反社会的とかいう意味ではありません。自分が前世で一生懸命に善行を積み、極楽で往生しようとする人を「善人」と呼び、「悪人」とはそういう善行が積めない人、すなわち私たち人間のほとんどを指します。
“人を助けたい”と思いながら、もっと金が欲しいと思ったりしますよね。そういった煩悩にまみれた人間はすべて「悪人」だと親鸞は規定したわけです。全員がそうなのだけれども、それを先鋭的に集約したのがヤクザの世界であって、「悪人」という言葉に当てはめるのがぴったりくるということで持ってきました。
――本書一番の読みどころは?
やっぱり、冒頭の「因縁生起」ですね。私たちは網の目の中で生きています。例えば、こうしてあなたが私にインタビューをしている。どうしてインタビューしているかと言えば、仕事だからと答える。なぜその仕事をしているか?この会社に入ったから。なぜこの会社に入ったのか?いろんな事情はあると思うけれど、あなた自身がこの世に生まれたこと、いや、もっと以前にさかのぼって考えることができる。すなわち永遠の昔から色々なことが絡み合って現代があって、何が悪いわけでもないのです。
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