この世界にはラジオを愛する人がまだまだいる。
キーワードで振り返る平成30年史 第19回
そんな状況に変化が起き始めたのが、昭和晩期の60年の横浜エフエム放送の開局だった。アラフォー以上の首都圏の方には懐かしい、あの「♪よーこーはーまー そごうー」の横浜FMである。これに続いたのが昭和62年設立のエフエムジャパン。翌年から通称J-WAVEとしてFM放送を開始した。「♪エイリィポーイントゥセーブン ジェイウェーイブ」である。さらに一ヶ月後、埼玉県でエフエム埼玉が放送を開始。放送周波数79.5MhzにちなんでNACK5として親しまれるようになる。これが昭和最後の開局。
平成に入ってFM局開局の流れはさらに加速。平成元年、首都圏に負けじと関西圏の雄、大阪でもFM802が開局。同局は愛称のFunky802をデザインしたステッカーを制作。
認知度アップのプロモーションとして、このステッカーを頒布し、車のバンパーに貼ってもらうよう働きかける。ポップなデザインのステッカーは当時のマイカーを持つ若者層に受け入れられ、バンパーステッカー作戦は大成功。これ以後、開局した他地域のFM局も
愛称が記されたバンパーステッカーを頒布し、日本各地いたるところで様々な局のステッカーを街中で見かけるようになった。放送内容もかつてのFMが音楽重視だったのに対し、喋りの比重を強める。D.J.(ディスクジョッキー)と呼ばれていたラジオパーソナリティの呼称がナビゲイターに変化。日本においては小林克也が始めた英語交じりのネイティブ風イントネーションのナレーションもこの頃から様々な分野に波及していった。スタジアムの選手紹介などがこのスタイルになったのもその流れと言えるだろう。
平成四年にはさらなる新たな流れがうまれる。放送法の規制が緩和され、より狭い市町村レベルを受信聴取者と想定するコミュニティFM局の開設がスタート。北海道の函館ではこだてFM(FMいるか)が放送を開始したのを皮切りに、各地にコミュニティFM局が開局され、現在では300局以上にまで増えている。よりローカルな情報発信が可能なコミュニティFMはもちろん災害時にもAMと並ぶ頼りになる存在となっている。
AM、FM、コミュニティFM、それぞれ聴き比べ使い分けるのもありだろう。動画配信を楽しむのも悪くないがラジオもまた乙なものである。
昨今、運転中はまだしも家庭ではラジオはあまり聴取されないか、インターネットの「radiko.jp」や「らじる★らじる」といったサービスやアプリを経由して聴取されることが多くなった。それはそれでいい。だが、災害時の備えとして、古き良き時代へのリスペクトとして、専用のラジオ受信機を一台備えておくのも悪くないのではなかろうか。あのフレディ・マーキュリーも歌っていたではないか。この世界にはラジオを愛する人はまだまだいるのだから。
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