保育士のブラックな待遇は、戦後から変わっていない
忘れられた庶民の伝統①
過酷な勤務と低賃金が問題になっている保育士。でも。ブラックな実態は戦後から全く改善されていなかった――。パオロ・マッツァリーノ氏が新刊『歴史の「普通」ってなんですか?』の中で明かす真実。
■むかしからだった保育士の差別的待遇
朝日新聞が取材した(1954・10・21夕刊)、かなり恵まれた状況にある都立の保育園でさえ、たった5人の保母で100以上の乳幼児を朝7時から夜6時まで世話しているので、保母たちは疲れきっています。
保母・保育士は低賃金重労働なため退職者が多く、慢性的な保育士不足が続いている―って、この状況も、60年以上前から変わってないじゃないですか。
1967年刊『働く者の社会保障読本』には、当時の保母が驚くほど冷遇されていた事実が記されてます。公立保育園の保母でも給料は他の公務員より安く設定されていて、私立となるとさらにその7割、ひどいところは5割しかもらえません。27、28歳くらいになってもスーパーマーケットの高卒社員の初任給並みという呆れた実態。保母は平均3年で転退職してしまうのです。
60年代には、保育士を確保できない東京の区立保育園が、日本全国に求人を出す試みをすでにやってたくらいです。
〈『歴史の「普通」ってなんですか?』より構成〉
同書では、昭和39年当時の待機児童数が150万人にのぼっていたため、廃品回収業の篤志家じいさんが自宅を改装して保育園を造った事例や、主婦と学生が保育園をつくった話も紹介されています。