議論の勝敗だけにこだわる「知識人ごっこ」の輩を実名で糾弾する【中野剛志×適菜収】
中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第5回
中野:小林秀雄は、勝ち負けを争うような政治や論争を嫌悪していました。「政治と文学」という講演の中で、小林はこんなことを語っています。
《政治家の変節を、人は非難するが、をかしな話で、政治思想といふものが、もともと人格とは相関関係にはないものなのである。さういふ次第で、同類を増やす事は極めて易しい。だが、それは裏返して言へば、敵を作る事も亦極めて易しいといふ意味になります。空虚な精神が饒舌であり、勇気を欠くものが喧嘩を好むが如く、自足する喜びを蔵しない思想は、相手の弱点や欠陥に乗じて生きようとする。収賄事件を起した或る政治家がテーブル・スピーチでこんな事を言ふのを私は聞いた事がある。「私は妙な性分で、敵が現れるといよいよ勇気が湧く。」ちつとも妙ではない。低級な解り切つた話であります》(「政治と文学」)
小林はまた、ヒットラーの『我が闘争』を読んで衝撃を受けています。《紋切型を嫌ひ、新奇を追ふのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼等は論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかつたか、と思ひたがるものだ》(「ヒットラアと悪魔」)
適菜:ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの「嘘も百回言えば本当になる」というやつですね。要するに連中は人間を徹底的にばかにしているんです。だから、算盤を弾いて人間の獣性だけに訴える。それで社会の空気を動かそうという発想になる。こうしたプロパガンダを駆使するデマゴーグとして優秀なだけの人間が、今の日本ではのさばるようになってしまいました。
中野:そういえば、藤井聡氏が、ゲーテがどうたらって、やたら口走るっていう話、ご存じですか?
適菜:何回か聞いたことがあります。『ファウスト』の「時よ止まれ、おまえは美しい」というのは、土木は大切という話、みたいなことを言っていました。あれは、ファウストが勘違いして、自分の墓が掘られている音を聞いたときの言葉なのですが。
適菜:これ、すごすぎますね。以下、引用しておきます。
《要するに,ゲーテのファウストが言いたいのは,皆で協力して,大自然の中で自分達の暮らしの住処を作り挙げる土木の姿,防災まちづくりの姿こそが,どんな宝石よりも恋愛よりも芸術作品よりも人間のなし得る全ての行為の中で最も美しい姿なのであり,それには,どれだけ美しい夕日であろうが風景であろうがモーツァルトの音楽であろうが,何ものも優ることはできない──ということだったのです.そしてそのことが,ヨーロッパの歴史の中でも最大の知の巨人と言い得るゲーテの最終的な結論だったのです》
中野:恐れ入りました(笑)。『ファウスト』の解釈にもいろいろな説があるのでしょうし、私も詳しいわけではないけれど、そうは言っても、さすがに、こんな安っぽい話じゃないことくらいは分かりますよ。
防災まちづくりの土木事業が重要なのは認めるけれど、そもそも、なんでそこでゲーテの『ファウスト』をわざわざ出さなきゃいけないんですか。この調子だと、三島由紀夫の『金閣寺』を引っ張り出して「三島の最終的な結論は、火の用心ということだったのです」とか言いかねない。
適菜:ははは。今回の新型コロナの件もそうですが、知らないことに口を出すからこういうことになるんです。
中野:そこで、面白いことに気づいたんです。藤井氏はファウストの土木事業の話を「土木は大事だということだ」などといった小学生みたいな解釈をしましたが、実際は、ざっと、こんな話です。
ファウストは干拓事業に邁進するのですが、海辺の土地に菩提樹の木と小屋があって、その小屋に住むピレモンとバウチスという老夫婦が立ち退きを拒否するので、事業が進まなくなる。そこでファウストはメフィストフェレスに老夫婦を立ち退かせるよう命じますが、メフィストフェレスは老夫婦を殺害してしまい、菩提樹の木と小屋は焼け落ちる。ファウストは焼け跡を見て「あとをきれいにすれば、四方をくまなく見わたすことができる」という台詞を吐いて、干拓事業を先に進めるのです。
このように、ファウストは、ピレモンとバウチスという高齢者を邪魔者扱いして排除するのですが、これは、『ファウスト』を土木万歳の話と理解した藤井氏が、新型コロナに関して「新型コロナ対策は、高齢者の徹底隔離『さえ』すればいい」とか言ったり、「コロナで死ぬのは、ほとんどが高齢者だ」と強調したりしたように、何かにつけて高齢者を邪魔者扱いしているのとぴったり符合する。ちなみに、藤井氏は、今年の5月17日にも、エマニュエル・トッドの言葉を都合よく引用しながら、こんなツイートをしています。
《「高齢者は重症化し死亡リスクが高い(が)高齢者なので人口全体の構造への影響はほとんどない」「(自粛で若者は)これから何十年という単位で影響を受ける」「まあ自分が救急病棟に入っ(た)瞬間に『大事なのは若者を救うことだ!』なんて言えるかどうかわかりませんが」こういう議論が重要ですね》
藤井氏が何を言いたいのか、わかりますよね。ちなみに、高齢者を排除した後のファウストですが、次第に不安にかられるようになり、そして視力を失います。盲目のファウストは、それでも干拓事業に邁進し、穴を掘る鍬の音を聞きますが、それは実は、自分の墓穴を掘る音だった……とまあ、こんな話なのです。で、ゲーテが言いたいことは、防災まちづくりの姿が何だって?(笑)
適菜:軽く眩暈が……。まさに彼は「墓穴」を掘ったわけですね。
■俗物図鑑
中野:ここまでくると、知識人や言論人って、喜劇というか、何だかモリエールの風刺小説に出てきそうな感じですね。
適菜:仮にわれわれが合作で小説を書いたとして、風刺喜劇用の登場人物をつくりあげるとしたら、どんな感じになりますかね?
中野:そうですねえ、あくまで風刺小説に出て来る想像上の俗物ですが、こんなイメージかな。
深刻そうな顔にチョビ髭つけて、大学教授か何かの肩書を振り回し、やたら「アウフヘーベン」とか哲学用語・外国語を口走ってもったいつけ、人前で葉巻を吸って見せたりする。権力者にはペコペコするのに、学生や飲食店の店員とかには威張り散らし、講演ではすぐに興奮して「僕は、そういう日本人にムカついているんですよ~!」とか叫んで大演説。挙句の果てに、取り巻きにおだてられて、代議士とか市長とかになろうとしちゃったり。
こんな絵に描いたような俗物、明治・大正時代はともかく、令和の現代にいたら凄いわ(笑)。
適菜:かなり味わい深い人物ですね。喜劇というより悲劇に近い。そのモリエール風の小説には、こんな架空の登場人物が出てきたら、面白いかもしれない。「僕はホンコンさんの友達なんですよお」とネトウヨのゴミ芸人とのつきあいを自慢する人。私塾の途中でいきなり携帯電話をとりだし、政治家に電話して、ツーカーの関係を一生懸命アピールする人。居酒屋のアルバイトの若くて一番弱そうなやつを狙ってネチネチと絡む人。
中野:やけにリアリティがありますね(笑)。さて、ノンフィクションの話に戻りますが、この対談を読んでいる読者の中には、我々が藤井氏ばかり批判しているのを不審に思う方もおられるかもしれません。しかし、藤井氏の問題の中には、知識人・言論人の問題、さらには現代日本の問題が凝縮されているように、私には思われるのですよ。コロナ禍という危機が炙り出した現代日本の知識人の問題。これを論じる上で、彼ほどふさわしい人物はいないでしょう。その意味では、藤井聡教授こそ、現代日本を代表する知識人の一人と言っていい(笑)。
適菜:その通りです。ニーチェは『この人を見よ』でこう言っています。
《ただ私は個人を強力な拡大鏡として利用するだけだ。危機状況というものは広くいきわたっていても、こっそりしのび歩くのでなかなかつかまらない。ところが個人という拡大鏡を使うとこれがよく見えてくるのである。私がダーヴィット・シュトラウスを攻撃したのもこの意味においてであった》
《またこれと同じ意味において、私はヴァーグナーを攻撃した。もっと正確に言うと、すれっからしの人を豊かな人と取り違え、もうろくした老いぼれを偉人と取り違えているドイツ「文化」の虚偽、その本能‐雑種性を私は攻撃した》
要するに、時代や危機状況といった曖昧なものは、特定の人物を論じることにより、具体的に見えてくる。単なる悪口にはなんの意味もありませんが、社会の病を把握するためには、俗物について論じるのは大切なことなのです。
◆「小林秀雄」をめぐる評論家・中野剛志氏と作家・適菜収氏の対談(4回分)+〈続〉対談(5回分)の公開は今回が最後です。公開したのは全体の約半分です。未公開の対談とこれまでの対談の加筆修正されたものは、当社から単行本として8月に発売する予定です。