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物部氏の存在意義を喪失させる仏教の導入が動機か?!

聖徳太子の死にまつわる謎⑮

■ 容疑者は誰か②物部氏の場合

物部氏の廃仏行為『少年日本歴史読本. 第七編』萩野由之編 博文館刊 国立国会図書館蔵

 さて、聖徳太子暗殺の容疑者として、蘇我氏の次に疑う必要があるのは物部氏である。

 物部氏は、日本各地に広大な土地を所有していた、ヤマト朝廷のなかでももっとも 古い、最大の豪族で、主に朝廷の軍事部門を担当していたといわれている。またその 一方で、神道の祭祀者としての一面も強かった。
物部守屋と蘇我馬子・聖徳太子とのあいだに起きた仏教導入をめぐる確執は、物部氏が神道の中心的存在だったことと無縁ではない。仏教の導入は、物部氏の存在意義を喪失させる危険性をはらんでいたのである。
両者は激しく対立し、物部守屋は同じく神道祭祀と深くかかわっていた中臣氏とともに、蘇我氏を中心とする崇仏派を攻撃した。そして、最終的には全面戦争にいたり、物部氏はついに滅んでしまったのである。

 要するに物部氏にとって、聖徳太子という存在は大王家の人物でありながら、邪教を日本に広めようとした、いわば"サタン"であった。したがって、太子に対する憎しみは、むしろ蘇我氏に対するものよりも強烈であったかもしれない。

 物部氏にすれば、神道を守り抜くことは、すなわち朝廷の伝統を守ることであり、 自分たちこそが天皇家のために働いているという意識が人一倍強かったはずである。 

 それなのに、聖徳太子が蘇我氏にそそのかされ、仏教導入派に参画し、しかも聖徳 太子の神通力によって物部守屋は滅びたのである。物部一族の怨恨は、当然太子に集中したであろう。物部氏滅亡の最大の責任は聖徳太子にある物部氏の残党はそう思ったにちがいない。

 そこで注目されるのが、先述の山片蟠桃の証言である。

 

 蟠桃によると、河内郡下太子(大阪府八尾市)の大聖勝軍寺には、かつて聖徳太子に関する絵巻があって、そこには蘇我馬子に毒をもられ、吐血しながら死んでいく聖徳太子が描かれていたという。

 ちなみに、この大聖勝軍寺は、一説には物部守屋の墓があったとも、また物部守屋の魂を鎮めるために建立された寺だったとも伝えられている。このことから、聖徳太 子が滅ぼした物部守屋たちの怨念がこの寺に宿っていたと、人々は信じていたという。 

 この物部氏の恨みの残された寺の絵巻に登場する聖徳太子は、なんとも無惨な形で殺されている。そしてこの事実は、ひとつの可能性を我々に示唆してくれる。 

 聖徳太子を殺したのは馬子だったと大聖勝軍寺の絵巻は証言するが、もしかすると、聖徳太子の死は聖徳太子に怨念を抱きつづけた物部一族の残党による復讐であり、この事実を隠蔽するために、聖徳太子殺しの罪を馬子になすりつけたのではないか、ということだ。

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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