東伊豆台場群の現状〈前篇〉
外川淳の「城の搦め手」第79回
沼津藩は、東伊豆の海岸線に計4か所の台場を建設した。
台場の圧倒的多数は消滅するなか、東伊豆台場群は、いずれも旧態をとどめている。
4つの台場のうち、最北に位置する川奈台場は、川奈ホテルゴルフコース敷地内に位置する。
探査にあたっては、ゴルフ場サイドへ正式に申し込み、平日の午前中、ホテルの方の運転するカートに乗り、台場の遺構まで到達することができた。
雨が降りしきるなか、写真を撮影するとともに略測図を作成した。
川奈台場よりも南側に位置する富戸台場は、城ヶ崎海岸の遊歩道上に位置し、台場の土塁の中央を遊歩道が貫通する。
台場の敷地内には、大砲のモニュメンと説明版もあり、史跡として扱われている。
そのため、日本の台場のなかでは、品川第3台場クラスの集客力を誇る。
最近、史跡案内板に立ち止る人口が増加傾向にある一方、半円形の土塁が台場の遺構であることを理解する人は、1%にも満たないと思われる。
富戸台場より南側に位置する稲取台場は、稲取温泉の海寄りの高台に遺構が伝わる。
一部の研究誌には。遺構は消滅と記述されているが、2004年の探査の時点では、幕末の沿岸砲台特有の遺構が認められた。
1999年、東伊豆町の観光課に立ち寄り、ダメ元で台場の位置を聞いたところ、意外にも懇切丁寧に位置を教えていただくことができた。
そのときは、次回、紹介する美穂ヶ崎台場の略測図作成に時間を取られ、日没を迎えたので、現地での位置関係の把握だけで引き揚げた。
それから、5年後、ようやく稲取台場を探査する日程上の都合がつき、まずは観光課ではなく、社会教育課を訪れたところ。職員は台場という言葉も知らなかった。
川奈台場の探査のときには、伊東市の社教の方も同行していたので、その方の名前をあげてみたところ、なんの反応もなかった。隣あった自治体であれば、同じ部署の職員には交流があるという考えは通用しないらしい。
通常であれば、史跡の詳細について観光課が把握していなくとも、社教でわかるところ、この町では逆だった。
次号、第80回へと続く