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東伊豆台場群の現状〈後篇〉

外川淳の「城の搦め手」第80回

■ブッシュに覆われた稲取台場

 【前編から続く】稲取台場は、稲取温泉の海岸線の高台に遺構が伝えられる。史跡としては、まったく認知されてなく、海岸特有のブッシュに覆われている。そのため、図面は示したが、具体的な位置関係には触れない。

写真を拡大 稲取台場 作図=外川 淳

 (5)は、台場の中心的なエリア。前面の土塁の形状から、大砲を2門設置したと想定される。海岸線に近い高台に位置するという幕末の沿岸砲台特有の立地環境や、土塁の形状から考えてみて、消滅したともされる稲取台場の遺構は、探査した段階では存在すると判断している。

 沼津藩が東伊豆に築いた4つの台場のうち、美穂ヶ崎台場は最南端に位置する。

 史跡案内板は設置されていないが、美穂ヶ崎の突端にある展望所への遊歩道の途中に位置し、砲台部分の探査は容易である。

写真を拡大 美穂ヶ崎台場略測図 作成=外川 淳

 美穂ヶ崎台場の砲台分部は、土塁を切り欠き、大砲を設置する基本構造。前方の半円状の土塁には小型砲、後方の直線状の土塁には大型砲を配置したと想定される。

 砲台の南側には、人為的削平地が認められ、兵士の駐屯スペースと想定される。ただし、この部分は、壮絶なブッシュのため、作図はとても、いい加減。図面は、ケバをせっせと、腕が痛くなりつつ、まじめに入れ、それらしく作成。

 

写真を拡大 美穂ヶ崎台場の現状
写真には大砲の写真をCGで合成し、砲台としての構造をわかりやすく表現してみた。

 4つの台場の現状は、それぞれ。

 もっとも恵まれているのは、史跡として認知されている富戸台場。

 美穂ヶ崎台場は、史跡案内板は設置されていなくとも、遊歩道の中間点にあり、探査は可能。

 川奈台場は、存在は確認されるものの、私有地の内部にあり、原則として公開されていない。

 稲取台場は消滅説さえあり、ブッシュまみれの放置状態にあり、探査は不可能な状態にある。

 行政は保存という名の破壊をすることもあり、下手な保存をするよりも、今の状態のままで後世に伝えられる方がよいのかもしれない。

 ただし、稲取台場と、美穂ヶ崎台場については、不要な樹木は伐採し、案内板を設置する程度の処置を望みたい。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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