日本のコロナ禍は終わらない~テレビ・政治・日本人の責任回避スパイラル【松野大介】
■政治・テレビによる責任回避の循環システム
東京都心や他の地域でふだん通り外出する人が多いが、テレビが「気の緩み」と指摘するのは失礼な話だ。
あくまで私の考えだが、今の私たち国民を大ざっぱに分けると、
①「日本におけるコロナのデータを知ったので、気をつけながらも外出する人」
②「働かなきゃ生きていけないから外出する人」
③「データはわかるが、感染は怖いし責められるのも嫌だから外出を控える人」
④「テレビ報道のみを信じて不安だから外出しない人」
というタイプが多いのではないか(身内にコロナ感染者や高齢者を持つ方はまた別です)。
多くの人は補償しない政治や、病床を狭めているのに政治資金パーティーに参加した医師会に頭にきている。
しかし文句は言わない。なぜなら、マスコミ(主にテレビ)が作った同調圧力のような空気に従ってしまう日本的なシステムがあるからだと思う。
それは去年の夏前、小池都知事がホストを感染源にしたのが始まりだろう。
都知事が根拠なくホストや夜の街(夜営業の飲食店)を感染源にする→国民や都民が「飲食店だけで感染するわけないだろ」とまともな反論→テレビは国民を自粛させて視聴率を上げたいので都知事に乗っかり大々的に報道→不安な視聴者が「ホストや飲食店が悪いんだ」という論調に傾く→政府や全国の知事が飲食店休業させる
最初は「飲食店だけで感染するわけない」と最低限科学的な意見があったのに、自粛のたび飲食店を真っ先に休業させるので、「今度の自粛はお店が8時までか、やれやれ」と人々が納得する思考になってしまった。
決して「思考停止」ではない。ウイルスに対して不安だし、ルールだからと守る人が増えるたび「同調圧力」に逆らえないという面もある。各自が「飲食店の感染は少ないのに休業って‥‥でも、仕方ないか」と〝仕方なく我慢〟をしてしまうのだ。
飲食店が大きな感染源じゃないと判明しても、テレビ側は「都知事の言ったことですから」と言い訳が立つし、各知事も「政府が言ったことだから」、政府も「マスコミと国民のご意見ですから」と言い訳できる。誰かの発案したルールに従えば責任を回避できるという極めて日本的な無責任スパイラルが完成したと私は考える。
そしてこの循環システムに、私たち国民(主に視聴者)もしっかりと組み込まれている。
都知事が「お酒の提供禁止」発案→国民が「今時、禁酒法か? ウイルスと酒に何の関係があるんだ」とまともな反論→テレビが酒禁止を報じ、全国の政治家がまねる→国民が「酒屋が倒産するのに‥‥まあ、仕方ないか」と我慢。
今のところ小池都知事が発案した自粛ルールが多く感じられる。全国ネットのテレビは東京で作っているので、政府の批判はたまにやっても、都知事批判はあまり見られず、逆にヨイショする意味で大きく報じているかもしれない(あくまで推測です)。
「気の緩み」というワードも小池都知事発でテレビが広め、全国の政治家が真似して、今でも一部の国民が使っている。
原因の根底は、テレビの煽り報道の論調に視聴層だけでなく、支持率を気にする全国の政治が影響されることだろう。