実直で行動力があった2代目の徳川将軍は父の言いつけをどう聞いた?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第50回 ~徳川秀忠~
「絶(ぜつ)」:運勢エネルギー1
運勢エネルギーが「1」であり、十二運星の中で最も低い。輪廻転生で言うと「あの世」の意味を持つ不安定な星。常に精神的孤独を感じており、人から裏切られる経験も多い。しかし、一方で天才肌でもあり、尋常でない才能を発揮できる可能性もある。芸能人等で持っている人が多く「絶」を持っている人は普通の生活は向かない。
「胎(たい)」:運勢エネルギー3
好奇心旺盛で様々なことに興味を持つが、飽きっぽい。新規開拓が得意で、新しいことに挑戦するのが好き。
「死(し)」:運勢エネルギー2
霊感の星。神通力がありウソを見抜くのが得意。ひらめきがあり、ゼロから何かを作ることができる。
※運勢エネルギー トータル:6
「絶」と「死」は後世の星で、「胎」は前世の星と言われる。つまり、いずれも現世を生きていない。つまり、現世における欲、物欲や権力欲がなく、自分が死んだ後やその過去の世について考えるような、精神欲を持っている。日柱に霊感の強い異常干支「壬午」を持っていたが、相まって相当スピリチュアルな人物だったのだろう。
運勢エネルギーの合計は、たったの6。十二運星それぞれに1~12の運勢エネルギーが割り振られていて、運勢エネルギーの合計は、日柱、月柱、年柱の十二運星の運勢エネルギーの合計で示される。合計点の平均は約20なので、かなり弱いことはわかるだろう。これまで約60人の歴史上の人物を鑑定してきたが、これほど低い人物は初めてだろうか。運勢エネルギーが極端に低い場合、天才肌と解釈される。
大阪夏の陣のあと、駿府に隠居している家康と対面した秀忠はこう問われた。「わしが死んだらこの国はどうなる」これに対し、秀忠は「国は乱れるかと」と答えたという。家康も家康でそれをとがめるともなく「うん、それでよいのだ」と話した。秀忠は権力に対して欲のない人物で、「将軍職は先君から賜ったものであり、自ら得たものではない」といって、すべて控えめだったという。
上手く流されて生きていたのだろう。秀忠の行動の規範は、家康の教えを守ることだった。将軍職に就いた秀忠は、伊達政宗と精通していた弟・忠輝を処分し、不穏因子の芽を摘んだ。そして、家康の遺志を継ぎ、元和6(1620)年、半ば強引に実子・和子を皇室に送り込んで後水尾天皇に嫁がせ、徳川家の血につながる天皇を誕生させた。実直に家康に従い続け、盤石な江戸幕府の礎を築いたといえるだろう。
今回は、徳川幕府の中であまり目立たない、第二代将軍・徳川秀忠を四柱推命鑑定してきたが、うまくやった典型的な2代目だろう。ちなみに、うまくできなかったのが、豊臣秀頼なのだが…。以前、秀頼を鑑定したことがあるが、秀忠の命式表と非常によく似ている。秀頼も「正官」を2つ持っており、「偏印」「傷官」を持っており、「絶」と「死」を持っている。いずれも真面目で従順、流されやすい性格のだろうが、2人の運命を分けたのは、社会情勢と空気を読む力の差だろうか。この辺りは教育と、子を動かす親(徳川家康と淀殿)の影響と言わざるを得ない。
秀忠もプライドの高い性格なので、父・家康に反発心を覚えたこともあったろう。兄・信康の失敗を目の当たりに、じっと我慢して耐えることができたその根性に、秀忠の底知れぬ強さを感じる。
【参考文献】
「徳川秀忠とお江」星亮一 学研パブリッシング (2010)
「徳川秀忠―江が支えた二代目将軍」福田千鶴 新人物往来社 (2011)