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ドイツ対戦車砲の系譜7.5cmPak40への途

ドイツ軍でもっとも活躍した対戦車砲①

■7.5cmPak40の活躍が始まるまで。

写真を拡大 7.5cmPak40の前身となった5cmPak38。対戦車砲は砲を持つ戦車と直接交戦するため、できるだけ見つからないように写真のごとく低姿勢に設計されていた。しかも砲員を守る目的で、他の砲に比べれば大型で頑丈な防盾を備えている。

 第一次大戦時に戦車が出現すると、それを撃破するため、爆薬や手榴弾を用いた歩兵の肉薄戦法以外に、対戦車ライフルや比較的軽量な小口径~中口径の野砲による射撃が行われた。当然ながら戦車は装甲で守られているため、これを撃破するには貫徹力に優れた火砲が必要となる。だが、まだ戦車の黎明期だった同大戦当時は装甲が薄かったので、野砲の転用でもとりあえず間に合った。

 

 しかし、やがて戦車の装甲が厚くなると、より高い装甲貫徹能力を持つ砲が求められるようになる。こうして生まれたのが対戦車砲である。堅固な装甲を貫くため、芯まで金属でできた重い徹甲弾を高速で撃ち出し、戦車の装甲板を貫く砲だ。もちろん徹甲弾だけでなく、中に炸薬が充填されており、爆発して弾片効果で人員を殺傷する榴弾も撃つことができる。

 対戦車砲は当初、歩兵が戦車から身を守るために開発され、しかも当時の戦車の装甲厚の関係もあって、人力でも十分に搬送可能な小口径の高速砲が理想とされた。副次的に、戦車だけでなく直接照準によって敵の陣地や歩兵との交戦も可能なことが求められた。同時に、戦車を撃破する砲でもあるため、牽引式の対戦車砲としてのみならず、撃破対象の戦車に搭載される戦車砲としても用いられるようになった。

 ヴェルサイユ条約によって第一次大戦後の軍備に制限がかけられていたドイツの場合、試作的なものを除けば、対戦車砲の歴史は1936年に制式化された3.7cmPak36(Pakとはドイツ語で対戦車砲を意味するPanzerabwehrkanoneの略)から始まった。当時は口径37mm~40mmの対戦車砲が世界標準となっていたが、それはとりもなおさず、当時の戦車がこのクラスの砲で撃破できたからに他ならない。同砲はもちろん3.7cmKwK36として戦車砲にも転用され、III号戦車の初期型に搭載された。

 しかし1930年代は戦車の性能向上が続いていた時期だったため、ドイツ陸軍はより大威力の5cmPak38を1938年に制式化。同砲は3.7cmPak36よりもはるかに強力で、III号戦車の中期型にも搭載された。

 そして次期対戦車砲として口径7.5cmの砲の開発が進められ、1940年に7.5cmPak40として制式化されたが、生産の優先順位は低かった。というのも、それまでに遭遇したイギリスやフランスの戦車なら、5cmPak38で対処可能だったからだ。

 ところが1941年6月22日、バルバロッサ作戦によってドイツ軍がソ連領へと侵攻し独ソ戦が始まると、早々に7.5cmPak40の生産順位が最優先に近く引き上げられた。その理由は、ソ連軍の走・攻・防と三拍子揃ったT-34中戦車と重装甲を誇るKV戦車、両者との交戦の結果、5cm砲の威力不足が痛感されたからだ。この出来事を「T-34ショック」「KVショック」と称するが、ここから7.5cmPak40の活躍が始まることになる。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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