小石川伝通院を歩く①天下人の母
季節と時節でつづる戦国おりおり第356回
■徳川家康の生母のお墓参り
東京は、古戦場は少ないですが、大寺が多く戦国時代の有名人のお墓が多いのは素晴らしいですね。
東京出張のたび、近場の名刹を探して墓マイラーするのが筆者の楽しみです。
というわけで、今回の訪問先は小石川伝通院。九段下からバスでたどり着きました。
山門でかい。さすがは徳川将軍家の菩提寺。白地の幕に黒く染め出された三つ葉葵の御紋は、これぞインスタ映え!の極みであります。
左手の墓域に入って最初にお参りしたのは、徳川家康の生母・於大の墓。墓石には「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と刻んであります。そう、彼女の法名がこのお寺の名前になっているわけで、慶長7年(1602)に亡くなった於大さんは翌年息子の家康によってこの地に菩提寺を建立され、永い眠りの地としたのです。
それにしても素晴らしい戒名ですね、「芙蓉の誉れ=美女として広く知られた」とは、ずいぶん大きく出たものだと思います。現在残る彼女の肖像画は老齢となった姿のものしかありませんが、若い頃はどれほどの容色だったのか、一度拝ませていただきたいものです。
家康が関ヶ原合戦で天下をとったあと、於大さんは息子に誘われて京見物におもむき、後陽成天皇に拝謁し豊国神社に参詣するなど朝廷や豊臣家との融和を進める役割も果たしましたが、気疲れしてしまったのか、そのまま伏見城で病みつき死に至ります。数え75歳ですから、子の家康と同じ享年なのが、偶然ながらも興味深いところです。