道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。

古代遺跡の旅【第4回】 


 前回(第三回 古代・北辺の交流の要、「こしの国」の古墳を巡る)に引き続き、今回は古代の北辺の交流の要の地「こしの国」から、内陸部、そして太平洋側へ、つまり「みちのく」へと続いていく古墳の旅をレポートする。
「みちのく」とは「陸奥国」(むつのくに)のことで、現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県の全域と秋田県の一部を指す。この地の概念ができたのは7世紀後半といわれ、当時は、古代の道である東海道、東山道の「道の奥」の最北端に位置するという意味があった。ヤマト王権から見ても、日本の北限のイメージがあったのだろう。
 今回は、「みちのく」の中で福島県の古墳を巡った。三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出土した日本列島最北端の古墳、会津大塚古墳をはじめ、個性豊かな古墳を紹介していきたい。


 

【ライターからひとこと】
この連載は、考古の世界への旅の先達、専門ナビゲーターとして、毎回、考古学の専門家にさまざまなアドバイスをお願いしています。今回の先達は、関西大学非常勤講師 今尾文昭先生です。文中に先生のコメントも登場しますのでお楽しみに…! 

【会津盆地最古の古墳のひとつ、杵ガ森古墳へ】

杵ガ森古墳全景。ここが古墳?と思ってしまうが、なんと最古級の前方後円墳というから驚く。

 会津盆地では、大きく3つの古墳群が営まれた。会津大塚古墳がある「一箕古墳群」(いっきこふんぐん)、「雄国山麓古墳群」(おぐにさんろくこふんぐん)、そして「宇内青津古墳群」(うないあおつこふんぐん)の3つの古墳群だ。まず最初に、「雄国山麓古墳群」の中の一基、杵ガ森古墳を訪れた。
 
 現地に行くと、なんてことはない普通の公園?のようなところが、古墳だという。柔らかな草に覆われてなんとものんびりした場所に、ほんの少し、こんもりと高まりを感じる。ここが福島県の中でも最古級クラスの一基と言われても、ちょっとピンとこない。

 説明看板を読むと、杵ガ森古墳は『新編会津風土記』に塚として記され、その存在は古くから知られていたという。

 1990年の発掘調査で周濠の存在がわかり、全長45mの前方後円墳だということが判明した。周濠から、布留式(ふるしき)の最古段階と同じ土器群が出土し、さらに墳丘の下の地層に弥生終末期の変化が見られる土器を持つ竪穴式住居跡が発見された。このことから、古墳時代前期、その中でもさらに古い時期の古墳ではないかと考えられるそうだ。

 面白いことに杵ガ森古墳の地層の下に稲荷塚遺跡が見つかっており、たくさんの方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)があった。その後も、次々と古墳の周りに周溝墓が造られていったようだ。古墳に眠る人物の配下にあった、我々のような一般の人々の墓と考えていいらしいが、大きな古墳の築造に関わった人々は、弥生時代から続く、昔ながらの周溝墓に埋葬されたのだろう。
 
 つまりここに、周溝墓から前方後円墳へと変わっていく墓制の変遷を見ることができる。会津盆地には、ここから近い場所にある男壇(おだん)遺跡の周溝墓と亀ケ森古墳・鎮守森古墳のように、周溝墓と前方後円墳という組み合わせがよく見られるそうだ。
 
 今回は訪ねなかったが、ここから北に行ったところに、「臼ガ森古墳」という古墳もあるそうだ。杵と臼という名前の組み合わせも面白いが、この地域一帯が、弥生時代から古墳時代にかけて栄えていたことが窺い知れる。今も周囲には田畑が広がるが、古代から豊かな作物に恵まれた田園地帯だったのだろうか。

 この辺りは会津盆地の西部にあたるが、弥生終末期の変動の時期に、北陸系の人々が移住した地域と言われているそうだ。前回の「こしの国」でも、北陸系の人々が移住してきた証を見てきたが、会津でも、周溝墓が多く発見された中西遺跡や男壇遺跡、宮東(みやひがし)遺跡などの調査で、土器、住居、墓などに北陸の特色が色濃く見られるという。これらの集落の数からも少数の移動ではなく、集団として移動してきたのではないか?と言われているそうだ。他のルートの可能性ももちろんあるけれど、彼らの足跡とともに、北陸経由でヤマト王権の文化が伝わり、彼らを通して、当時、画期的な前方後円墳がこの地に築かれたのかもしれない。
 
 杵ガ森古墳を訪れて、みちのく・会津の古墳時代の黎明期に、いきなり出くわした感が迫ってくる。こんな早い時代に、ヤマトから遠く離れたこの地に前方後円墳が築かれたことの謎。その目で改めて古墳を見ると、先ほどの微かな高まりがはっきりと感じられるから不思議だ。

微かな高まりが、今はしっかりと見えてくるような気がする。みちのくにあって、ヤマトとの関係を持ち得た人物とはどんな人だったのだろう。


車窓からの見た周辺地域は豊かな緑が広がる田園地帯だ。山並みは古代人もみたそのままなのだろうか。

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郡 麻江(こおり まえ)

こおり まえ

ライター、添乗員

古墳を愛するライター、時々、添乗員。京都在住。得意な伝統工芸関係の取材を中心に、「京都の人、モノ、コト」を主体とする仕事を続けながら、2018年、ライフワークと言えるテーマ「古墳」に出会う。同年、百舌鳥古市古墳群(2019年世界遺産登録)の古墳ガイドブック『ザ・古墳群 百舌鳥と古市89基』(140B)を、翌2019年、『都心から行ける日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス)を取材・執筆。古墳や古代遺跡をテーマに、各地の古墳の取材活動を続ける。その縁で、世界遺産や古代遺産を中心にツアーを企画催行する株式会社国際交流サービスにて、古墳オタクとして古墳や古代遺跡を巡るツアーなどの添乗の仕事もスタートしている。

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