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名古屋城清州櫓は消滅した?

外川淳の「城の搦め手」第84回

■弘前城の桜は邪魔?

『歴史人』でこれまで「戦国の堅城」について何度も書いてきた。その際は、最強の平城として「名古屋城」をいつも紹介してきたわけだが、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。

 そこで、「BESTTIMES」を利用し、名古屋城の強さと、その魅力について語ってみたい。

 名古屋城の強さを感じるには、清州(清州)櫓は絶対に欠かせないアイテムといえる。清州櫓は、清州城から小天守を移築したという伝承にもとづき、そう称される。

 ただし、名古屋城の櫓は天守を起点としての方角を正式名称としているため、戌亥(いぬい)櫓もしくは御深井(おふけい)丸北西櫓と称される。
また、調査の結果、清州城の小天守の移築が否定されたこともあり、清州櫓という呼称は城内から削除されつつある。

 

御深井丸北西隅櫓
弘前城、丸亀城、宇和島城の天守よりも高さ、容積では上回る。現存する櫓としては、熊本城の宇土櫓に次ぐ大きさを誇る。

 清州櫓の内部は年に何回か特別公開されているため、名古屋城の公式サイトを参照のこと。
http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

 かつて、特別公開のとき、入場券売り場で確認のため、「清州櫓は公開されていますよね」と聞いたところ、職員のお姉さんは、「はあ?」という表情。
そこで「三階建ての櫓は見れますよね?」と聞き直したところ、ようやく質問の意図が理解できたようだった。

清州櫓内部
櫓の語源は矢の倉庫と言われているように、ガランとしている。

 清州櫓は、御深井丸から望んでも、周辺の松の木に邪魔され、なかなか壮大さを表現するカットには恵まれない。
やはり、いったん城外に出て堀越しに撮影した方がらしさを表現することができる。ただし、その名の通り北西に位置するため、逆光の時間帯が多い。

 天守や本丸だけではなく、清州櫓を中核とする壮大な防衛ラインを巡り歩けば、名古屋城のすごさを感じる取ることができよう。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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