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即席スープに山椒…縄文人の食へのこだわりが意外に深い

稲作が伝来するまでの日本の食卓【和食の科学史①】

「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。彼女の著書は刊行されるや常にベストセラーとなり、いま最も注目されている内科医にして作家である。「日本人はこれまで一体どんな病気になり、何を食べてきたか」「長寿を実現するにはどんな食事が大事なのか」日本人誕生から今日までの「食と生活」の歴史を振り返り、日本人に合った正しい健康食の奥義を解き明かす、著者渾身の大河連載がスタート! 日本人を長寿にした、壮大な「食と健康」の大河ロマンをご堪能あれ。

 ■栄養たっぷり、木の実が主食だった縄文時代

 日本列島で人が暮らし始めたのは、はるか大昔のことです。島根県にある遺跡からは11〜12万年前の石器が見つかっており、現在のところ日本最古のものと考えられています。この時期、数万年にわたって続いた氷河期が終わりを迎えようとしていました。

 氷河期には北海道の半分以上にツンドラが広がり、現在では高地に生えるブナの木が西日本の平地にも茂っていたといわれています。海水が凍結したせいで海面が低く、日本列島は大陸とつながっていました。

 その後、気温が徐々に上昇し、1万5000〜1万6000年前になると森林に落葉樹が混じるようになります。これによりコナラ、クヌギなどの実、いわゆるドングリを入手できるようになって集落が生まれ、調理や貯蔵に使うための土器の製造も始まりました。約1万6000年前の青森県の遺跡で発掘された土器は世界最古の土器の一つと考えられています。

 こうして始まった縄文時代は、紀元前約1万1000年から、紀元前300年ごろまでの約1万年間にわたって続きました。国内の代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡があります。世界に目を向けると、エジプトにあるクフ王のピラミッドや、ギリシャのパルテノン神殿、中国大陸で万里の長城が造られたのがこの時期です。

 

 今から6000年前には年間平均気温が現在より2度ほど高くなり、ドングリの林が東北地方のほとんどをおおうまでになりました。

 当時の日本人は文字を持たなかったため記録が残っていませんが、遺跡の調査から食生活がだいたい明らかになっています。手作りの槍を手に猪や鹿を追い回していた、というのは誤解で、おもに食べていたのは植物でした。主食にあたるのが栗、クルミ、ドングリなどの木の実です。秋に収穫して貯蔵しておけば一年中食べることができました。

 木の実は穀物にはかなわないものの、比較的カロリーの高い食品です。食べられる部分100グラムで比較すると、白米が358キロカロリーなのに対して栗は164キロカロリー、ドングリの仲間が230〜280キロカロリー、脂肪分が多いクルミにいたっては674キロカロリーもあります。そのまま食べるには相当脂っこく感じられたでしょうから、カリカリに乾燥させて脂肪を取り除いていた可能性があります。

 私たちが普段食べている白米はビタミンB1が少なく、のちに日本人が白米を食べるようになるとビタミンB1が不足して脚気(かっけ)という病気が増えました。脚気を発症した人は足や心臓がむくんで最悪の場合は死亡します。栗、クルミにはビタミンB1が白米の2〜3倍含まれているので、この時代の人は脚気とは無縁だったでしょう。

 山菜やキノコは形が残らないため遺跡からは出てきませんが、おそらく食べていたと思われます。また、稲作が本格的に始まる弥生時代以前にも稲は存在し、ヒョウタンや雑穀、栗とともに栽培されていたようです。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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