徳川家康の長男は切腹、三男は2代将軍。では、次男を知っていますか?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第52回 ~結城秀康~
「帝旺(ていおう)」運勢エネルギー:12
「建禄(けんろく)」運勢エネルギー:11
「養(よう)」運勢エネルギー:6
※運勢エネルギーのトータル:29
十二運星それぞれに1~12の運勢エネルギーが割り振られていて、運勢エネルギーの合計は、日柱、月柱、年柱の十二運星の運勢エネルギーの合計で示される。最低は3、最高は36で、平均は15なので、秀康のエネルギーはかなり高いことがわかるだろう。織田信長(運勢エネルギー33)、毛利元就(運勢エネルギー31)にも匹敵する。
また、「帝旺(ていおう)」は王様の星、「建禄(けんろく)」は王子様の星で、「冠帯(かんたい)」=女王様の星と並んで、身強(みきょう)の星と呼ばれる。王様、王子様、女王様と言われるだけあって人の上に立てるエネルギーの強い星。しかし、身強の星が2つ以上あると自我が強すぎて相手のことを考えられなくなるとも言われる。
もしやこれが、第二代将軍になれなかった理由だろうか…。ちなみに、弟・秀忠の運勢エネルギーはわずか6であった。しかも、持っている星も真面目で従順な星ばかりであった。隠居後も最期の最期まで権力をふるい続けた家康は、真面目で忠実な2代目を求めていたのだろうか。秀康のように、芯があり、エネルギーが強く武将に向いている星は、家康から見たら邪魔だったのかもしれない。
絶対的で偉大な父、家康に翻弄された秀康。鑑定結果からは人のよさは伝わるものの、持っている星が強烈で、謙虚さは感じられなかった。しかし、謙虚な人柄と伝わる秀康は、兄・信康の横暴さと、弟・秀忠の従順さから、父のもとで生きる術を学んだのだろうか。言葉を選ばすに言うと、これだけ強い命式を持っていながら殺されなかったことが唯一の救いだろう。自分を発揮できず、もどかしい一生を送ったのかもしれないが、時代と状況に合わせて受け流し上手に振舞う秀康の強い思いに見習いたいと思う今日この頃だ。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
【参考文献】
・「シリーズ藩物語 津山藩」岩下哲典 現代書館(2017)
・「シリーズ藩物語 福井藩」舟澤茂樹 現代書館(2010)
・歴史ゆっくり紀行ブログ https://歴史ゆっくり紀行.com/ (2018年12月21日最終アクセス)