日本のヘアヌード解禁から30周年。猥褻の歴史を解剖した労作【宝泉薫】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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日本のヘアヌード解禁から30周年。猥褻の歴史を解剖した労作【宝泉薫】

安田理央著『ヘアヌードの誕生』書評

菅野美穂へアヌード写真集『NUDITY』(撮影:宮澤正明)

 

■80年代前半、少女ヌードが一種の抜け穴になっていた…

 

 それでも、20年前の本の作業を通して学べることもあった。この「ヘアヌードの誕生」にも登場するヌード業界の人物から嫌がらせを受け、やはり闇深い世界だと感じて距離を置こうとした、というのもその成果だ。

 逆に、こういう世界の近くに身を置きながら、情報収集力と批評眼、そして情熱を持ち続け、こうした労作をものにした著者には感心させられる。本書ではそんな著者ならではの鋭い分析に、随所で出会えるのだ。

 たとえば、80年代前半、少女ヌードが一種の抜け穴になっていたことをめぐる記述である。

「陰毛こそがヌードにおける猥褻の境界線だとしていた当時の風潮からすれば、陰毛がまだ生えていない少女の性器は猥褻ではない、という理屈がまかり通っていたのだ」(137頁)

 世の中の常識の曖昧さ、その運用の際どさを知る人にしか、こうした表現はすんなりと出てこない。

 そのあたりの鋭さは「おわりに」において、ますます発揮されている。1957年に最高裁が示した「猥褻三原則」のひとつ「善良な性的道義観念に反するもの」について、著者は「何なのだろう」としたうえで「善良な」を「平均的な」に置き換え、こう問いかけるのである。

「逆にいえば、性的嗜好が平均的な性的道義観念から外れている人は猥褻を満喫し放題ということにならないだろうか」(260頁)

 一本取ったり、という感じだ。

 著者はそこから「個人の嗜好に左右される猥褻」を「法律で一律に取り締まる」ことの「無理」を説くわけだが、実際、制限はひかえめにして、なるべく「なんでもあり」な状況を保つほうがよいのではないか。本書全体からも、そういう方向性が感じられるのが心地よい。

 なお、著者は最後の最後に、ある告白をして、読者を面白がせようとしている。行き届いたサービスだ。こうした筆力や構成力に長けた書き手の本は愉しい。

 

文:宝泉薫(作家・芸能評論家)

 

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《著者紹介》

安田理央(やすだ・りお)

1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室(講師:赤瀬川原平)卒。主にアダルトテーマ全般を中心に執筆。特にエロとデジタルメディアとの関わりや、アダルトメディアの歴史をライフワークとしている。AV監督やカメラマン、またトークイベントの司会や漫画原作者としても活動。主な著書として『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』『日本エロ本全史 』(すべて太田出版)、『AV女優、のち』(角川新書)、『日本縦断フーゾクの旅』(二見書房)、雨宮まみとの共著『エロの敵』(翔泳社)など。

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宝泉 薫

ほうせん かおる

1964年生まれ。主にテレビ・音楽、ダイエット・メンタルヘルスについて執筆。1995年に『ドキュメント摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版する。2016年には『痩せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ)が話題に。近刊に『あのアイドルがなぜヌードに』(文春ムック)『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、最新刊に『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)がある。ツイッターは、@fuji507で更新中。 


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