265年も続いた幕府! 徳川家康はどういう基準で大事な2代目を選んだのか?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第53回 ~徳川家康の子ども事情~
〇運勢エネルギー
上記の円グラフの下に、4人それぞれの運勢エネルギーを記載している。命式表にある日柱、月柱、年柱3つの十二運星に1~12の運勢エネルギーが割り振られていて、運勢エネルギーの合計は、3か所の運勢エネルギーの合計で示される。最低は3、最高は36で、平均は15である。これはその通りエネルギー量を表し、高ければ高いほどスケールの大きなことができる。また、エネルギーが10以下と小さい場合、天才肌という意味もある。最も高いのは秀康で29、次いで信康で27、家康が10、秀忠が6である。
家康の運勢エネルギーが10と平均よりも低いのは少々意外であるが、信康、秀康はその2~3倍。織田信長(運勢エネルギー33)、毛利元就(運勢エネルギー31)にも匹敵するほどの強いエネルギーを持っている。先ほどの「自立心」の星の話にも通じるが、エネルギーが強すぎる2人は家康にとって脅威だったのだろうか。一方の秀忠は6と、これまた驚くほど運勢エネルギーが小さい。現世にいながらにして前世や後世を見据えていたような、ここにいてここにいないような欲のない不思議な人物だったことが予想される。そんな不思議ちゃんに、家康は自分と似た底知れない可能性を感じたのだろうか。
今回は、家康、信康、秀康、秀忠の相性や性格を見比べながら、家康はなぜ次期将軍に秀忠を選んだのかについて、筆者なりの持論を展開してきた。その結論として、①家康は秀忠と抜群に相性がよかったから、②秀忠は信康・秀康に比べて従順で頭がよかったから、③秀忠の不思議ちゃんぶりに可能性を感じたから、と言えるだろうか。
将軍職に就いた秀忠は、家康の遺志を継ぎ、元和6(1620)年、半ば強引に実子・和子を皇室に送り込んで後水尾天皇に嫁がせ、徳川家の血につながる天皇を誕生させた。実直に家康に従い続け、盤石な江戸幕府の礎を築いたといえるだろう。四柱推命的にエネルギーは強くないが、秀忠は偉大な1代目を継ぐ2代目として、お手本としたい人物だ。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。