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糖尿病で亡くなった藤原道長。原因は贅沢三昧の食生活だった?

「蘇」に蜜をかけて食べていたという藤原道長【和食の科学史④】

■貴族の食事のほうが不健康だった?

 平安時代には紙と筆が普及し、読み書きできる人が増えたことで、歴史書、文学、絵巻物にさまざまな病気が頻繁に描かれるようになりました。そのなかに数は少ないながら糖尿病と思われる記載が見つかります。糖尿病になると血糖値が上がるために体の細胞から水が出て、非常に喉(のど)が渇きます。そのため、当時は飲水病とか消渇(しょうかち)と呼ばれていました。

 糖尿病は代表的な生活習慣病で、近年、患者数の急速な増加が問題になっています。厚生労働省が実施する国民健康・栄養調査によると、2016年には糖尿病が疑われる大人が初めて1000万人を超えました。

 糖尿病が目に見えて増え始めたのは1960年代のことです。おなかの脂肪、正確にいうと内臓脂肪の蓄積と運動不足が発症に関係することから、かつては「ぜいたく病」と言われることもありました。実際には遺伝的ななりやすさを背景に、複雑な過程をへて発病しますが、古代社会に限ってみれば、やはり上流階級の病気でした。

 奈良時代と同じように貴族の主食は白米で、食事はさらに豪華になっていました。味つけの基本は塩と酢で、味噌と醤油に近いものも使い、ワサビ、タデなどの薬味もあったようです。砂糖は大変な貴重品だったため、さしもの平安貴族も気軽に口にすることはできませんでした。砂糖の利用が広がるのは鎌倉時代の終わりに大陸からの砂糖の輸入が増えてからです。

 

 ただ、盛り合わせの美しさと品数を重視するあまり、栄養のバランスは後回しでした。また、全国各地の珍しい食材を使おうとすれば、魚や貝は保存の利く干物や塩漬けなどの加工品が中心になります。きらびやかな外見とは裏腹に、貴族の食事は不健康なものでした。

 摂政、太政大臣を歴任し、栄華をきわめた藤原道長の死因は糖尿病だったと推測されています。道長の親族には他にも糖尿病と考えられる人が何人もいました。1018年、三人の娘を天皇の后にして朝廷内で確固たる地位を築いた道長は、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」と詠(よ)みました。53歳のときでした。

 この時代、貴族たちにもてはやされたのが、大陸から伝わった蘇(そ)という食べものです。牛乳を根気よく煮詰めて作るため、非常に手間がかかる貴重品でした。古代のチーズと表現することがありますが、再現されたものを食べてみると発酵はしておらず、ほろほろくずれるキャラメルのようでした。かすかな甘味と塩味があり、濃厚で、少し食べるだけでお腹がふくれます。それもそのはず、蘇100グラムで400キロカロリー以上あり、これはベーコンのカロリーに匹敵します。

 記録によると、道長は蘇に蜜をかけて食べていました。また、太政大臣の位についたお祝いの宴では、蘇と甘栗を合わせた菓子を宮中からたまわっています。どちらもおいしそうですが、カロリーが気になりますね。

 このころ道長は、喉の渇きをしきりに訴えるようになっていました。本人も周囲も気づかぬうちに糖尿病を発症していたのです。病気の進行にともなって視力が低下し、その年の秋には人の顔を見分けられなくなったと記載されています。わずか2ヵ月で太政大臣を辞任すると、糖尿病が悪化するなか、その10年後に亡くなりました。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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