糖尿病で亡くなった藤原道長。原因は贅沢三昧の食生活だった?
「蘇」に蜜をかけて食べていたという藤原道長【和食の科学史④】
■武家が好んだ庶民の味
庶民の食事は質素ではありましたが、玄米を主食に、新鮮な野菜と魚、そして山で捕らえた肉も食べ、結果的に貴族より健康的な食生活を送っていました。牛、馬、羊、鶏、犬、猪の子どもを食べることは禁じられていたものの、鹿やヤマドリ、ウズラ、ウサギなどは食べても良かったうえ、庶民には禁止令が行き渡っていなかったからです。
米の収穫量が増えるにつれて、木の実は栗とクルミくらいしか食べなくなりました。ドングリはたいていあく抜きが必要で調理に手間がかかるためですが、例外として、とくに保存が利き、でんぷんが多いトチの実をあく抜きして食べる地域もありました。
身分をとわず悩まされたのが寄生虫感染です。平安時代後期に成立した『今昔物語集』には、女性の体から長さ13~14メートル! のサナダムシが出てきたという記述があります。当時は駆虫薬としてザクロの根を煎じたものを飲ませたようです。
藤原氏に代わって力をつけ、権勢をふるった平清盛が、高熱に苦しんだのちに亡くなったのは1181年のことでした。死因は明らかではないものの、寄生虫症の一種、マラリアだった可能性があります。当時の書物には薬としてカッコウの黒焼きが出てきますが、当然ながら効くはずもなく、治療の中心は加持祈祷でした。霊験あらたかな比叡山の水をふりかけたものの、熱があまりにも高かったため、一瞬で熱湯に変わったと伝えられています。図5は『源平盛衰記図会(げんぺいせいすいきずえ)』の一場面で、高熱のあまり炎に包まれた清盛のもとに閻魔(えんま)大王の使いが迎えにやってくる様子が描かれています。
(連載第5回へつづく)