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トルコの超イスラーム保守派地域「チャルシャンバ地区」を歩いてみた


トルコのイスタンブールはかつてこの地を支配した数々の帝国の文化的影響が反映され、歴史ある観光の街として栄えている。この地に在住し、異文化理解と多文化共生について研究している袴田玲さんがちょっとディープなトルコの街歩きを紹介する(第2回)。


 

 

◆トルコの超イスラーム保守派地域を歩く−−チャルシャンバ地区

 

 国民の9割以上がイスラーム教徒だといわれるトルコ。しかしながら、そこに住まう人々の考え方や、実践の仕方は様々だ。一日五回のお祈りを欠かさない人もいれば、お酒を飲むが自分はムスリムだと言う人もいる。また、普段はヒジャーブを着用しないものの、一日五回の礼拝を行い、さらにはマッカ巡礼にも行ったことがあるというご婦人の話を聞いたこともある。

 トルコ社会は一般的に、イスラーム教徒として保守的な考えを持つ「イスラーム保守派(ムハーファザキャール)」と、世俗主義や西洋文化に共感的な「世俗派(セキュレル)」に二分される。しかしながら、近年は若い世代を中心に両者の境も曖昧になりつつあるという。さらにイスラーム保守派といってもその内部は決して一枚岩ではなく、様々なグループに分かれているのが実情だ。

 そうした多様なトルコ人の中でも、「最もイスラーム的に保守で閉鎖的」と評される人々が集住する地区。それが、イスタンブールのヨーロッパ側にあるファーティフ地区の一区画、チャルシャンバだ。

 チャルシャンバ地区は、「フェネル」や「バラト」といった地区を見下ろす、小高い丘に位置している。ファーティフ地区のエムニイェト・ファーティフ駅から、徒歩10分程度だ。フェネルという地区は歴史的にギリシア正教会のコミュニティがあったことや、現在もコンスタンティノープル総主教庁があることで知られている。バラトにもキリスト教徒は多く、また15世紀ごろからはユダヤ人が移住してきたために、辺りにはシナゴーグが残る。そうした非ムスリムは20世紀にその比率を大幅に減らしたものの、現在も僅かに共同体を維持している。

 

こちらがフェネルに建つコンスタンティノープル総主教庁

 

 冬のイスタンブールは、天気の崩れる日が多い。決して快晴とは言えない天気の中、エムニイェト・ファーティフ駅からファーティフ地区を通り、チャルシャンバ地区へ足を踏み入れた。チャルシャンバの人々の服装は、明らかに他の地区の人々とは異なっている。ファーティフも宗教保守が多いことで有名だが、それと比較しても異質だろう。男性はタッケと呼ばれる帽子や、ベヤズ・サルク(白いターバン)、またジュッベと呼ばれる袈裟のような上着を身につけ、シャルヴァルという、ゆったりとしたズボンを履く。女性にしても、チャルシャフという黒のチャドルで全身を覆っている。

 

 

 多様な出自を持つ人々が集うイスタンブールでは、服装からその人の出自、もしくは政治的・宗教的態度をある程度は読み取ることができる。このチャルシャンバ地区の服装が一体何を表しているのかというと、彼らが「イスマイル・アー教団」のメンバーであるということだ。

 このイスマイル・アー教団は、20世紀半ばからイスタンブールで活動するナクシュバンディー教団の一派だ。この「教団」とは、トルコ共和国建国初期から現在に至るまで、法的に活動が禁じられているタリーカ(スーフィー教団)のことを指す。特にイスマイル・アー教団はイスラームの伝統理解に対して独自の厳格な規定を持つことで知られ、服装規定にはそれが如実に表れている。彼らは既製品を好まず、仕立屋で服を仕立てることも多いと聞く。

 この地区の経済や人間関係といったものはこの地区で完結し、事実上の治外法権を持つとも言えるような状況だという。メディアではしばしば別の国のようだと揶揄されている。最近では、彼らのコミュニティ内での児童婚が報じられ、トルコを大きく騒がせた。

 またイスマイル・アー派の有名な説教師であるジュッベリ・アフメトはしばしば物議をかもす発言をメディアで繰り返し、保守派のイスラーム学者からも批判されるなど話題に事欠かない。彼らに対し、世俗派、保守派問わず懐疑的な視線を向けるトルコ人は多い。

 ただし強調しておかなければならないのは、この教団は数あるトルコのタリーカの中でもかなり特殊とみられていることだ。日本の中で類似のコミュニティを挙げるのは難しいが、言うなれば米国のアーミッシュのような存在だろうか。

 

次のページ店頭の木の棒が目に入り、思わず立ち止まった・・・

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袴田 玲

はかまた れい

袴田玲(はかまた・れい)
1997年静岡県生まれ、浜松北高等学校卒業。イランのアルムスタファー国際大学にてペルシア語・イラン=イスラーム文化・文明コース修了後、同志社大学神学部を卒業する。専門はペルシア文学、オスマン帝国の耽美文化。トルコのマルマラ・アナドル・イマーム・ハティプ高校で日本語教師として勤務する傍ら、アンカラ大学付属トルコ語学校にてトルコ語中級まで修了。現在はEDEP(イスラーム学卓越教育センター)奨学生。趣味で漫画を描く。

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