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譲位したら、天皇陛下はどこに住まれるのか?

象徴天皇「高齢譲位」の真相

 

皇居内か、東宮御所か

 天皇陛下が譲位された後、どこに住まうのか。

 江戸時代までは、譲位が一般的でしたから、そのための建物があり職員もいました。
 上皇の御所は、上皇を仙人になぞらえて「仙洞(せんとう)」と称し「仙洞御所」とか「仙院」と呼ばれました(皇太后のみの御所は「大宮御所」と申します)。

 その在り方は、時代によって異なりますが、江戸時代には後水尾上皇から光格上皇まで、天皇の御所(内裏)に近い所(ほとんど東南)に代々造営されています。そこには、平安後期から若くして譲位された上皇が院政を執られる場合、院庁が置かれて多くの実務官人を擁していました。

 しかしながら、今後「高齢譲位」される方が院政を敷かれることはありえません(もちろん再度の皇位の継承も摂政の就任も原則ありえません)。従って、その職員は、かつて「皇太后宮職」が置かれたように「上皇宮職」(仮称)が設けられ、おそらく皇太子殿下の「東宮職」に近い職員が配置されるのではないかと思われます。

 それでは、これから譲位される両陛下の御所はどこに用意されるのでしょうか。これが特例成立直後から宮内庁の取り組む大きな課題になるとみられますが、今でも噂されている案がいくつかあります。まだ確証は得られませんが、参考までに主な例をあげておきます。
 その一つは、皇居内の吹上御苑に現存する両陛下の御所(平成5年完成、延床面積5770平方m)から150mほど離れたところにある「吹上御所」(昭和36年完成、床面積4088平方m)です。

 ここは昭和天皇の崩御後に「吹上大宮御所」と称されまして、平成12年(2001)6月14日に香淳皇太后(96歳)が崩御されるまで過ごされてから16年、いわば空き家になっていました。従って、鉄筋二階建てとはいえ、かなり改修(ほとんど改築)を要するとみられ、それには相当な費用と時間がかかるとみられます。
 もう一つは、赤坂御用地にある東宮御所(建物面積5226平方m)です。ここには今の両陛下が結婚の翌年(昭和35年)から住まわれ、平成5年からは皇太子御夫妻と愛子内親王の三殿下が住んでおられます。
 しかし、平成20年から2年かけて大改修されましたので、現皇太子=新天皇親子が皇居の御所へ移られるのに伴い、両陛下がこちらへ戻られ上皇御所とされましても、遜色ないとみられます。この案であれば、何より費用も時間も僅かですみそうです。しかし、そうすると、別の問題が生じてきます。

 それは、新天皇の皇嗣として弟君の秋篠宮が皇太弟になられる場合、おそらく秋篠宮と同妃と悠仁親王の三殿下は、内廷皇族の待遇をうけられることになります。

 そうだとすれば、現在の秋篠宮邸(元秩父宮邸)では、現東京御所のように国内外の要人などが訪問して、お茶会などを行うことが難しいとみられます。従って、兄君が皇居へ移られたら、東宮御所へ入られる必要があります。しかし、そうされないのであれば宮邸を大幅に増築されるのも一案かと思われます。
 いま一つは、品川にある「高輪御殿」です。そこは、元来肥後熊本藩主細川氏の下屋敷でしたが、まず明治時代に内親王用の御所が建てられ、ついで大正時代に東宮御所として使われ(邸内に皇太子裕仁親王の御学問所も置かれていた)、さらに昭和時代に高松宮邸として使われてきました。しかし、昭和62年(1987)に高松宮宣仁親王殿下(81歳)が薨去され、平成16年(2004)同妃喜久子殿下(92歳)も薨去されました。ここもまた継嗣不在のために、高松宮家は絶家となってから、既に12年も経過しており、これまた上皇御所とするためには、相当な改修を要するとみられます。
関連:象徴天皇「高齢譲位」の真相

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所 功

ところ いさお

名古屋大学史学科・同大学院修士課程卒業。法学博士(慶大)。文部省教科書調査官を経て、京都産業大学名誉教授、モラロジー研究所研究主幹。著者に『皇位継承のあり方』(PHP新書)など、共著に『元号』『皇位継承』(ともに文春新書)など、編著に『日本年号史大辞典』(雄山閣)など。


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